難病患者の病気を受容するプロセス 〜希望を持つことの大切さ〜
ALSを発症して7年、41歳の現役医師である梶浦さんによるコラム連載です。今回は、キューブラー=ロスの「死の受容過程」を梶浦さんが考察します。
目次
E・キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』
ALSのような治療法のない難病を告知された患者は、それを受け入れるまでには相当な覚悟と時間が必要です。
アメリカの精神科医であるエリザベス・キューブラー=ロスは、200人以上の末期患者の心理状態の変化を、5段階で表現した著書『死ぬ瞬間』を1969年に発表しました。
これは、医師が初めて、医学がおよばない「死」という領域を科学的にとらえようとした画期的な本です。もう50年以上前のものであり、そこからさまざまな考えかたが波及しましたが、今でもサナトロジー(死生学)の基本的なテキストとして世界的に広く普及しています。
私も学生時代に授業で学んだことを思い出し、今回は、本書でキューブラー=ロスが示した「死の受容過程」1)を考察してみたいと思います。
ALS患者の受容過程と私の場合
キューブラー=ロスは、末期患者が病気を告知されてからの心理状態の変化を
1 否認と孤立
2 怒り
3 取り引き
4 抑うつ
5 受容
──の5段階で示しています。
このような心理状態の変化は、末期患者にしか当てはまらないのではありません。ALSのような難病患者や、自分の力ではどうしようもない困難に直面した人たちにも、広く当てはまります。
私は、これをALS患者に当てはめて、実際に私が経験した心理状態の変化と比較してみました。
第1段階「否認と孤立」
自分がALSであるという事実に衝撃を受け、それを頭では理解しようとするが、感情的にその事実を否認(逃避)している段階。「何かの間違いだ」というような反論をするものの、それが否定しきれない事実であることは知っている。周囲の人たちも自分をALS患者として見るため、そうした周囲から避けるように距離をとり、孤立するようになっていく。
私の場合もまさしくそうでした。この連載の第2回で書きましたが、なぜこんなことになってしまったのか? 何かの間違いではないか? と、自問自答を繰り返す日々が続きました。そして、自分はALS患者であり、これから先は周りの友人や同僚たちとはまったく違う人生を送っていかないといけないのか……。そう思うと、それまでどおりに笑って話すことができず、自然と周りの人たちと距離をとるようになっていきました。
第2段階「怒り」
自分がALS患者であるという事実は認識できた。しかし、どうして悪いことをしていない自分がこんなことにならないといけないのか?というような漠然とした怒りや、憤りにとらわれる段階。イライラが抑えられず、周囲の人に怒りを発散してしまう。
第3段階「取り引き」
信仰心がなくても、神や仏にすがり、どうにかしてほしいと願う段階。これまでの行為を改めるから嘘であってほしいといった「取り引き」をしようとする感情。
第4段階「抑うつ」
徐々に進行していく症状に直面して「死」を意識するようになり、悲観と絶望に打ちひしがれ、憂うつな気分になる段階。
私の場合は、この第2~4段階の感情は特にありませんでした。医師という仕事柄、「病気」とは非常に身近にあるものであり、誰にもいつでも起こりうるものという感覚がありました。また、ALSとはどういう病気であるかを詳しく調べることができ、「ともに生きていく」選択肢があることを理解できたことも要因だと思います。もし私が医師でなかったら、このような感情がわいてきたのかもしれません。
第5段階「受容」
これまでは、自分がALS患者であることを拒絶し、何とか回避しようとしていたが、進行していく症状にあらがえず、自分がALS患者であることを受け入れる段階。
遅かれ早かれ、この「受容」の段階に至ります。時間をかけて少しずつ受け入れていくことになるのですが、私は完全に受け入れるには5年近くかかりました。
ここで私が特に強調したいのは、キューブラー=ロスは
これらのすべての段階を通してずっと存在しつづけるのは『希望』である。
と書いていることです。
現実を冷静に受け入れている人でも、新薬や新たな治療法が開発されるかもしれないということにわずかな希望を持ち、それを糧に気力を保っている人も多いでしょう。
たとえその希望が非現実的なものであっても、患者は、希望を与えてくれる医師や看護師を最も信頼するものである。
私もそうでした。診断されて間もないころは、まだ治験段階の薬を自費で購入し、わずな希望にすがり、それを肯定してくれる医師を信頼しました。
ALSと診断されて、それを受け入れられないでいる患者さんへ
この病気を簡単に受け入れられる人なんて一人もいません。
孤独になったっていい。怒ったっていい。何かにすがりついたっていい。落ち込んでも、ふさぎ込んでもいい。それがふつうの感覚なんだから、そんな自分を肯定してほしい。この病気を受け入れるには、長い時間がかかるのだから、あまり先のことは考えすぎず、目の前の症状と少しずつ向き合っていけばいい。
そして、どんな病気にも希望はあることを忘れないでほしい。
そして、ALS患者さんを支える人たちには、患者さんのこのような感情を理解し、共感し、希望を持って寄り添ってほしいと思います。
私の二つの希望
ちなみに、私の今の希望(野望?)は、筋肉を使わずに正確にスイッチを押せるようにならないかな?ということです。
ALS患者の課題の一つは、「残存している筋力をいかに効率よく使い、パソコンやiPadなどのツールを操作できるか?」ということです。しかし発想を変えて、そもそも筋力以外で操作できれば、この問題は解決できるのではないでしょうか。たとえば、脳波を使ってスイッチを押すことができれば、筋力がいくら落ちても、コミュニケーションはとれるはずです。
今はまだ開発・発展段階ですが、今のtechnologyがあれは、きっと脳波でスイッチを押してiPadを操作できる日が来るはずです!
お詳しい方がおられましたら、こちらまでご連絡ください。
そして、もう一つは、この連載を読んでくださっているALS患者さんに、少しでも「生きる希望」を提供できますように。
コラム執筆者:医師 梶浦智嗣 記事編集:株式会社メディカ出版 |
【引用・参考】
1)E・キューブラー=ロス,鈴木晶訳.『死ぬ瞬間:死とその過程について』東京,中央公論新社,2001,468p.