医療と福祉と、エトセトラ。枠にとらわれない『ケアの文化拠点』とは
長野県軽井沢町のほっちのロッヂに足を踏み入れると、いわゆる「診療所」「訪問看護ステーション」から連想するイメージとは異なり、まるで別荘のような雰囲気。ほっちのロッヂでは、訪問看護ステーションを「家に訪問し医療のサポートをしたり、町全体の健康を考える活動のこと」と定義。訪問看護をする人たちのことは、「訪問もしますが、町のあちらこちらで働きながら、この町全体が健康な状態であるためにどんなことができるだろう?と考えているチーム」としています。
実際にほっちのロッヂで訪問看護をしている人たちは、どのような想いで、どんな働き方をしているのでしょうか。今回は前編でお話を伺った藤岡さんに加え、看護師の小宮さんと今井さんにもお話を伺いました。
>>前編はこちら
多様な人たちが集まり「心地よい」と思える空間をつくる【藤岡聡子氏インタビュー】
藤岡 聡子(ふじおか さとこ)さん 「老人ホームに老人しかいないって変だと思う」と問いを立て24歳で創業メンバーとして有料老人ホームを立ち上げ、アーティスト、大学生や子どもたちとともに町に開いた居場所づくりを実践。2015年デンマークに留学し、幼児教育・高齢者住宅の視察、民主主義形成について国会議員らと意見交換を重ね帰国。「長崎二丁目家庭科室」主宰(豊島区椎名町)、2019年より長野県軽井沢町にて「診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ」を医師の紅谷と共に開業し共同代表。共著に『社会的処方(2019学芸出版社)』『ケアとまちづくり、ときどきアート(2020中外医学社)』。 今井 麻菜美(いまい まなみ)さん ほっちのロッヂ 訪問看護ステーション 地域看護師 急性期病棟、離島の病院、老人ホーム等を経て、「診療所と大きな台所のあるところ」に関心を持ち、ほっちのロッヂへ 小宮 彩加(こみや あやか)さん ほっちのロッヂ 訪問看護ステーション 地域看護師 病棟での勤務を経て、「医療福祉のクリエイティブ職」という言葉に惹かれ、ほっちのロッヂへ 診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ(長野県軽井沢町) 「症状や状態、年齢じゃなくって 好きなことする仲間として出会おう」をコンセプトに、大きな台所を起点とし、2019年訪問看護ステーション、2020年に在宅医療(外来・訪問診療)・共生型通所介護・医療型短期入所事業含め全事業開始。 運営元:医療法人社団オレンジ HP: http://hotch-l.com/ Instagram: https://www.instagram.com/hotch_lodge/ |
目次
「クリエイティブ職」という言葉に惹かれて
―訪問看護師の小宮さん、今井さんのお二人は、ほっちのロッヂで初めて訪問看護をされているんですよね。まず、小宮さんはどういった経緯・想いでほっちのロッヂで働くことになったんですか?
小宮: 私は、病院に半年勤めたあと、「ほっちのロッヂ」にきました。きっかけは、自分の想いと病棟での仕事とのギャップですね。
自分の想いについては、看護大学院時代にさかのぼるのですが、私は病院の実習が大好きでした。お食事をあまり召し上がらない方がいたのですが、一対一でやり取りする中で、はしからフォークに変えたり、うどんを切るなどの工夫で、随分召し上がるようになった、という経験をしたんです。実習中はしんどいこともありましたが、そういったやりとりを通じて「こういう看護をしたいな」と思って、病院に就職しました。
病院が悪いと言っているわけでは決してないのですが、実際に働いてみると回転数についてや、延命の実際などについて目の当たりにし、「私がやりたいことってこれだったかな?」と心に引っかかる部分がありました。
そんなとき、この募集をみかけて「これだ!」と思ったんです。
―ほっちのロッヂの求人ですね。どういった部分が心にささりましたか?
小宮: 私の場合は、点数とか入院日数とか回転率とかよりも、看護は「創り出すからこそ面白い」っていう感覚があったんです。誰がやっても同じではなくて、人とその時、その場の空気感とか目線とか、いろいろな要素があって、全部が組み合わさって、創り出していけるものが看護かなと思っていて。そこを追求していきたいと思っていたところに「クリエイティブ」という言葉が目に入って、「これだ!」と(笑)。
藤岡: ここに書かれている文言は、紅谷(※)が言ったことをベースに私が料理して生まれたものですが、天気とか季節とか気温とか、気分とか…。本当に不確実な要素がある中で人を相手にするわけですから、「クリエイティブのほかに何があるの?」って思っています。クリエイティブっていう言葉からはデザインとかを連想しがちですけれど、こんなに無形のクリエイティブさはないよな、と。
※紅谷 浩之(べにや ひろゆき)氏:医師/医療法人社団オレンジ理事長/ほっちのロッヂ共同代表
小宮: 日によっても全く違うので、その瞬間、その場で創り上げていくものという感覚です。それが、しんどいけど面白いところですね。ほっちのロッヂでは、患者さんがいらしたときに「今回は外がいいな」って思ったら、本当に青空診療になります(笑)。
このお日様があって、この緑があって、この体調で外にいられるなら、外かなって。その時々で組み合わせ具合が全然違っていて、そこを逃さずキャッチできたぶんだけ、面白いケアになるって思います。
―空間も含めて、つくっているんですね。
藤岡: そうですね。ただ、こちらだけがつくっているということではなく、互いに関係し合ってつくりあげている。そして、あくまで癒しは結果である。そんなイメージです。
いつの間にか訪問看護をしていた
―今井さんがほっちのロッヂで働くことになった経緯も教えてください。
今井: 私は急性期病棟で数年働いていたんですが、「やりたい看護はもっと別の場所にあるのでは」と考えて、離島に行ったんです。離島では退院した方々の笑顔にたくさん出会い、お家やご家族が持つ力をすごく感じました。「ここでの看護、好きだな」と思って、それ以来「住まいに近いところにいたい」という思いがあります。
結婚を機に関東に戻ることになった際も、島にいたころの看護ができる場所を探したんですが…なかなか見つかりませんでした。当時は訪問看護をする勇気はまだなくて、在宅サービスや老人ホームで働きました。
でも、あるとき同僚が体調を崩し、ケアすることもケアされることもできず、ただただ崩れていく…みたいな状況になってしまいました。そしてその後、私自身も近い状況になってしまったんです。「これは違うな」と思い、私はもう看護師という役割にこだわらなくてもいいと思いました。また、食生活の乱れを整えたら健康を取り戻したという経緯もあって、そのころから健康的に働くことや、健康を支える食事が自分の中のテーマになりました。
そんなとき、たまたま雑誌を開いたらほっちのロッヂの記事が出てきて、「診療所と大きな台所のあるところ」という副題に目を奪われました。「これはなんだ?」と(笑)。働く場所を探したというよりも、「診療所の台所って、どういう役割があるんだろう」とか、「どうやって健康を支えるんだろう」というところに興味がありました。
藤岡がやっていた「長崎二丁目家庭科室」のことも知っていたんですが、行こうと思ったらもう閉じていたっていう経緯もあって。藤岡と話をしてみたくて軽井沢に行って、気づいたらいつの間にか訪問看護をしていました(笑)。
看護師がたくさん関わる=「幸せ」ではない
―ほっちのロッヂでは、訪問看護ステーションのことを、「家に訪問し医療のサポートをしたり、町全体の健康を考える活動のこと」と定義されています。いわゆる「訪問看護師」という職種から想起される定義・枠を取り払おうとされているように思いますが、普段どのような活動をされているのでしょうか。
小宮: 「看護師としてこういうことをしています!」と決めつけてしまうこと自体がちょっと違うのかなと思っていて、何か特別な活動をしているという感じではないんです。
でも、地域の方々のことをよく見ようとしているというのはありますね。例えば、訪問先のひとつにご夫婦とも認知症で二人暮らしをされているご家庭があって、私たちは普段の買い物をどうしているのか、ずっと気になっていたんです。そうしたらたまたまあるメンバーが、奥様がコンビニに入るところを見かけたんですね。
そのまま様子を見続けると、コンビニの店員さんがカゴを積んでカートのようにして、買い物ができるようにサポートしていたんです。想像以上にご自身と生活圏内の方々の力で生活されていることに感銘を受けました。こういうときにすぐさま「私が助けなきゃ」と入っていく方もいらっしゃると思うのですが、私たちは「様子を見て把握しておこう」というスタンスでいます。
藤岡: 見守り続けるためにあえてお声をかけずに、少し付いて行ってますからね(笑)。でも、本当にメンバーのみんなは町の方々のことをよく見ているんです。地番を言えばどなたの家なのか全部言えますし、人間関係もめちゃめちゃ把握してる。地域の方々の生活圏内で起きているお話はしっかり聞かせてもらうし、見届けているんです。
私たちと全然関係のないところでどんな生活をされているのか、しっかり見ることはすごく大事。一方で、私たちが代わりにカゴでカートを作ることももちろんできるけれど、すぐに直接関わろうとしないことも大事だと思っています。このケースでは、コンビニの店員さんが、お客様だからということもあるんでしょうが、ある種の「ケア」をしているんですよね。
小宮: そうなんです。ステーションとしてほかの職種の方も交えて勉強会をやろうというときも、そこにコンビニの店員やバスの運転手さんがいないほうががおかしいんじゃないか、って思っているくらい、チームの皆がシームレスに考えているんですよね。
また、私たちがべったり週5日関われば、その方が幸せになれるとは思っていないんですよ。地域に住む方々には、それぞれに歴史やつながりがあります。例えば、かつて嫁姑問題に苦労されて、「雑巾の水をかけられていたけれど頑張ってきたんだ」といったお話もたくさん伺うんです。その方にとっては、同じタイミングで軽井沢に嫁いできて、近いタイミングでご主人を亡くされたご友人が心のよりどころで、すごく大切な存在だったりします。そのことを、我々が知っておくことは大事ですよね。
利用者さんがご主人を亡くされて悲しんでいるとわかったら、私たちも全力を尽くします。でも、「私たちがずっと一緒にいますね」ではなくて、「ご友人とお会いしたらどうですか」という風につなげていく場合もあります。そのご友人が、公民館で手仕事の活動をされているとわかると、「じゃあそこに参加するにはどうしたらいいか」と考えていくんです。
肩ひじ張らないからこそ「使われる」存在に
藤岡: 私たちは、「これをやります」という明確な区切りを設けていないので、つかみどころがなくてわかりづらいと思うんですが、肩ひじを張らないところがむしろ大事だと思ってます。だからこそ、地域の方が私たちをうまく使ってくださるんですよね。
例えば、いわゆるACP(人生会議/アドバンス・ケア・プランニング)ってありますよね。「人生最後の時をどう迎えていくか」っていう対話。2022年9月からほっちのロッヂでも月1回のペースで「生き方交換会」という言葉を作ってやっているんですが、実は我々から「ぜひ人生会議しましょう!」と言ったわけじゃないんです。地域の方から「人生会議みたいなことを私のカフェでやりなよ」っていうお話があって。それに対してチームの一人が「ああ、じゃあ、やりましょうか」みたいな風にして始めたんです(笑)。
今井: 生き方交換会では、形式は決めずその時自分たちが話したいことを話していきます。例えば、最近の嬉しかったこと、今心に引っかかっていることなどです。集まる人は年齢も経験もさまざまなのですが、「実は最近お看取りをして、その人の思い出をたどりたい」という方が「こんな風に最期を過ごせてよかった」と教えてくれて、そういう過ごし方あるんだな、と知ることができます。
話す内容に関する思い出が蘇って、それが嬉しいときもあれば少し辛いときもあると思うんですが、語り手は「絶対聞いて」「そのとおりに受け止めて」って押し付けることはしません。また、聞き手が決めつけたり否定したりすることもなく、それぞれがテーブルに自分の想いを置いていく感覚というか。受け取りたい人が想いを受け取って、またそこからまた新しい想いが生まれて、まわっていく…というイメージですね。生き方交換会という言葉にも繋がりますが、自然と「想いを交換」しています。
いきなり登場人物になろうとしない
藤岡: 生き方交換会の場では、私たちは輪の中には入っているんですが、やっぱり「看護」を振りかざすことなく、ただそこにいて、見ているという感じですね。決して傍観者ではないんですが、「〇〇さん」という方がいたときに、〇〇さんの人生の登場人物の中に、いきなり自分たちを持ってこないというイメージです。私たちは「〇〇さんの隣」というよりは、「ふたつ隣」くらいの距離感がちょうどいいかなと。
私たちの活動に目立つ要素や派手さみたいなものは必要ないと思っていて、「私たち訪問看護ステーションです!」とグイグイいくのも違うと思っているんですよね。〇〇さんの目の前にいる「登場人物」の方々に、当たり前ですができることを最後までやって欲しいんですよ。
必要に応じて、もちろん私たちが出るべきところは出るんですが、それはギリギリまで待つ。ご本人あるいは医療者じゃないご本人の周りにいる方たちに、いかに登場して活躍していただくかというのが大事だと思っています。
制限がある中でも、挑戦する仲間がいる
―訪問看護師として働く中で、事業所の利益・報酬単価との兼ね合いや「〇〇は看護師の仕事ではない」といった線引きがあって、なかなか決められた枠を超えた動きが難しいと思う方もいらっしゃると思います。そういった方々に対してメッセージをいただけないでしょうか。
藤岡: 難しいですよね…。目の前のケアに集中すれば、当然単価の話は出てきますよね。さきほど出てきたお話は、インフォーマルなケアなので。でもやっぱり、目の前の人のことを「自分一人で全部やろう」と思わないこと、家族や隣近所の方々に登場人物として出てきてもらうことが大事だと思います。
小宮: 今のお話、看護学部時代に学んだナイチンゲールの「看護覚え書」の言葉を思い出しました。
藤岡: えっ、なになに?ナイチンゲールはなんて言ってるの?
小宮: 看護師がいない時に、どう回るかを考えてマネジメントすることが重要だということですね。
「責任者たちは往々にして、『自分がいなくなると皆が困る』ことに、つまり自分以外には仕事の予定や手順や帳簿や会計などがわかるひとも扱えるひともいないことに誇りを覚えたりするらしい。私に言わせれば、仕事の手順や備品や戸棚や帳簿や会計なども誰もが理解し扱いこなせるように──すなわち、自分が病気で休んだときなどにも、すべてを他人に譲り渡して、それですべてが平常どおりに行われ、自分がいなくて困るようなことが絶対にないように──方式を整えまた整理しておくことにこそ、誇りを覚えるべきである。」
ナイチンゲール,フロレンス著、湯槇 ます/薄井 坦子/小玉 香津子/田村 眞/小南 吉彦 訳 『看護覚え書―看護であること看護でないこと (改訳第7版)』より引用(2011、現代社)より引用
私たちが関われるのは24時間の中で1時間程度というわずかな時間ですし、その方の暮らし全体も視野に入れないといけないですよね。
今井: そうですね。あとは、「枠を超えた働きができない」と葛藤している看護師さんには、「やりたいけどできない」っていう気持ちがあると思うんですよね。そう思っている方々に、「ここにやっている仲間がいるよ」って伝えたいです。
藤岡: いいこと言う!
一同: (笑)
藤岡: 実際に息苦しく働いている方もいらっしゃると思いますし、人によっては死活問題だと思います。でも、私たちのように実践している現場もありますから。もちろん、私たちもやりたいことを完全に自由にやっているわけではなくて、他の職種の方々との連携とか、地域や事業者独自のやり方などに苦しむことはありますよね。制限がないわけはないんですが、その中でもやっている人はいるよ、ということが誰かの勇気につながると嬉しいですね。
―ありがとうございました!
取材・執筆・編集: NsPace編集部