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がん告知・再発等の「悪い知らせ」の伝え方&支え方【精神症状の緩和ケア】
がん告知・再発等の「悪い知らせ」の伝え方&支え方【精神症状の緩和ケア】
特集
2024年2月27日
2024年2月27日

がん告知・再発等の「悪い知らせ」の伝え方&支え方【精神症状の緩和ケア】

身体疾患を抱える患者さんの中には、不安や抑うつ、不眠といった症状を呈し、ケアが必要な方がいます。このシリーズでは主にがん患者さんの事例を中心に、患者さんが訴える精神症状の問題にどう向き合えばよいかを考えていきます。今回は「悪い知らせ(バッドニュース)」が伝えられた患者さんへの対応を考えます。 悪い知らせ(バッドニュース)とは患者の将来への見通しを根底から否定的に変えてしまう知らせのこと1)。伝えられる患者や家族に多大な精神的負担を与えるもので、がん医療においては病名の告知や再発・転移、積極的な治療の中止などがある。 悪い知らせに伴う心の反応 がん医療において、患者さんや家族に病状や予後に関する悪い知らせ(バッドニュース)を伝えることは避けて通れません。現代は死に直面する機会が少なく、自分自身や大切な人が「近い将来、死んでしまうかもしれない」という話を聞くことは、非常に強い衝撃を受ける体験です。 バッドニュースが伝えられた後、患者さんは混乱や不安、落ち込みなどを感じます。これは強いストレスに対する自然な心の反応であり、通常は時間が経つにつれてバッドニュースを受け入れ、落ち着きを取り戻していきます。しかし、中には症状が回復せず、適応障害やうつ病を発症する患者さんもいるため、患者さんの表情や言動をよく観察し、ケアを行っていく必要があります。 伝える側も感じるストレス 基本的にバッドニュースを伝える役割は医師が担いますが、在宅では訪問看護師が病状の変化や療養する場所の選択などに関する説明をしなければならないことも少なくありません。例えば、最期のときが近いと医師から説明を受けている利用者さんや家族に対し、次のような声かけをした経験はないでしょうか。 「どなたか会いたい(会わせたい)人はいらっしゃいますか。早めに連絡したほうがよいと思います」「自力でトイレへ行けなくなったら、病院への入院を希望されますか、それともこのまま自宅で過ごされますか」「葬儀はどのようにするか相談されていますか」など どれも「死」を連想させる声かけで、伝える側もストレスを感じるのではないかと思います。しかし、こうした問いかけをきっかけに患者さんや家族の想い、希望、生活の意向などが引き出されることがあり、大切なコミュニケーションです。だからこそ、患者さんや家族にどう伝え、伝えた後の心理的反応にどう対応するかも含めたコミュニケーションスキルを身に付けておくとよいでしょう。 伝える際のコミュニケーションスキル:SHARE バッドニュースを伝える際のコミュニケーションスキルとして「SHARE」がよく知られています。SHAREは、がん患者さんが悪い知らせを伝えられる際に医師に対しどのようなコミュニケーションを望んでいるのかに関する研究からまとめられたスキルです。患者が望むコミュニケーションの4要素の頭文字をとってSHAREと名付けられました。 4要素を図1に示します。 図1 SHAREの4要素 内富 庸介先生(国立がん研究センター 中央病院 支持療法開発センター長)より許諾を得て掲載 SHAREに関するコミュニケーション研修も実施されています。在宅で医師が利用者さんや家族にバッドニュースを伝える際、訪問看護師もこのSHAREを念頭に置いて支援を行うとよいでしょう。例えば、話し合うときに落ち着いた支持的な環境を調整し、日常生活への病気の影響や気がかりについて付加的な情報を提供するといったことを行います。もちろん、私たち訪問看護師が利用者さんにバッドニュースに関連することを伝えるときにも役立つスキルだと思います。 告知を受けたときから始まる意思決定支援 告知をはじめとしたバッドニュースを伝えられた後、患者さんや家族は残された時間の中で治療や療養場所などさまざまな選択をしていきます。訪問看護師は、利用者さんや家族に寄り添い、彼らの意思決定を支援する役割があります。 看護師が意思決定支援で真のニーズや価値観を引き出すかかわりとして、有効と思われるモデルをご紹介します。それは9つのスキルと30の技法で構成された「がん患者の意思決定プロセスを支援する共有型看護相談モデル(NSSDM)」です。NSSDMは、兵庫県立大学看護学部の川崎優子先生がまとめられたモデルで、「看護師が対応した面談記録の中から患者さんの意思決定プロセスに効果的に関与していた相談技術の構成要素を抽出」2)し作成されています。療養相談の先に意思決定支援があるとの前提で開発されたモデルであるため、訪問看護の場面で応用がしやすいと感じています。 ここではNSSDMで示される9つのスキルを紹介します(図2)。 図2 NSSDMの9つのスキル 川崎 優子先生(兵庫県立大学看護学部 教授)より許諾を得て掲載 意思決定場面においてすべてのスキルを扱うのではなく、患者さんの状況や相談内容に応じて必要な技術だけを段階的に用います。医療者の判断を押し付けるような情報提供にならないように留意しながら、患者さん自身が自分の価値観を自覚し、適切な自己決定を行うように支援する方法です。 今回はDさんの事例を通じて、がん患者さんの最期の療養先選択場面におけるNSSDMを用いた意思決定支援について紹介したいと思います。 事例:Dさん(80代、女性、独居) 5年前より肝細胞がんに対しラジオ波熱焼灼療法を受けていましたが、新たに胆管細胞がんと診断。その時点で本人の希望により化学療法は行わずBSC(ベストサポーティブケア)に移行し、自宅療養を選択されました。 最近になって下肢に著明な浮腫がみられ、Dさんは動くのが困難になってきました。病院の医師から入院をすすめられましたが、本人が「自宅で過ごしたい」と希望したため、訪問診療と訪問看護を開始することに。 病院から在宅へ、移行のタイミングで意思を確認 初回訪問日、Dさんは近所に住む友人に手伝ってもらい、布団からようやく起き上がれるような状態でした。数日前に訪問した医師より現在の病状の説明や今後の療養先の意思確認が行われています。その際、「自宅で過ごす」と話されていることを確認していましたが、看護師も再度Dさんに自身の病状の理解、現在の心理状態、これからへの思いを確認しました。 麻薬に対する抵抗感を確認するため、オピオイド鎮痛薬の使用について聞いてみました。すると「まだ大丈夫。私は弱い薬で効く体質なの。痛みで眠れないことはあるけれど、そのうちよくなるから」とのこと。この話から眠れない程度の疼痛があることや、オピオイド鎮痛薬の使用に抵抗感を持っていることが推察できました。 ほかにも以下の話をうかがいました。 今は病気や自身の身体について知りたい情報は特にない友人の支援を受けながら、このまま家で死を迎え、同世代の友人たちに人の死について考える機会にしてほしいと思っている同じ市内に住む息子には仕事があるし心配をかけたくないので世話にはなりたくない体調がよくなれば自分の身の回りに関することはできるから、今さら知らないヘルパーさんに家に来てもらうのもわずらわしいと感じる NSSDMを用いた意思決定支援の実際 まずは意思決定支援の方向性を見出すため、NSSDMの「スキル1 感情を共有する」を実践しました。Dさんには数年前に亡くなった寝たきりの夫を、息子に頼らず一人で介護されてきた経験がありました。こういった今までの生き方を否定せず時間をかけてうかがいました。 そうするうちに「痛みがあると自分の思い通りに動けないのはつらいけれど、痛み止めを使うことには抵抗がある」との発言があったことから、オピオイド鎮痛薬使用に関する意思決定支援を行うことにしました。 ここからは次の段階です。意思決定に向けて不足している点を補うため、特に「スキル5 患者の反応に応じて判断材料を提供する」と「スキル8 情報の理解を支える」ことに重きを置いてかかわりました。 Dさんは、疼痛が強いにもかかわらずオピオイド鎮痛薬に対する抵抗感があります。その結果、不眠を招き、疲労感が増している状態です。そこで何が抵抗感につながっているのか確認してみると、「麻薬を使用する=症状が悪化している」との思いがあるとわかりました。そこで、近年は薬剤も進化しており、痛みに対し早期から麻薬系の薬剤を使用することが多くなっていると説明しました。すると、「まずは一回試してみようかしら」との言葉が聞かれたので、訪問中に一度オピオイド鎮痛薬を服用しもらうことに。その場で体調の変化がないことを確認し、訪問後に時間をおいて電話でも体調を確認し、不安を軽減するようにしました。 Dさんとの信頼関係が構築できたと考えられた時点で、今後の療養先についてもう少し具体的に明確化するようにしました。Dさんにこれからの療養場所についてうかがってみると、次のような返事がありました。 足のむくみがひどくて、最近は息切れもする夜は心配で眠れないけれど、昼間にその分ウトウトしている以前は絶対に家がいいと思っていたけれど、息子に迷惑もかけられないし、病院や施設のほうがいいのかしらとも思うでも、先生に「家で最期まで過ごしたい」と言った手前、「気が変わりました」とは言いづらい こうした発言からDさんに意思決定の準備が整っていると判断し、最終段階の「スキル9 患者のニーズに基づいた可能性を見出す」を念頭に置いてDさんにかかわるようにしました。例えば、言い出しにくい気持ちを看護師が医師に代弁できることを保証し、改めて自宅と病院(施設)での最期の過ごし方の特徴について具体的に説明しました。また、自分が決めたタイミングで気持ちが変化すればいつでも療養場所は変更可能なことを伝えました。 その後、Dさんから呼吸苦が増強した時点で「入院したい」との連絡があり、訪問してDさんと息子さんの意思を再確認しました。主治医と連携し緩和ケア病棟への入院を調整し、最期は病院で永眠されました。 * * * 医療法第1条第4項には「医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手は、第一条の二に規定する理念に基づき、医療を受ける者に対し、良質かつ適切な医療を行うよう努めなければならない」と示されています。しかし、バッドニュースを伝えることは、相手が傷ついたり、悲しい思いをしたりすることが予測でき、伝える側も苦悩を抱える作業です。このため、伝えるチームメンバーを周りがサポートし、孤独にならないよう、尊重し合えるようなチームづくりが終末期ケアでは大切です。看護師として自分に課せられた説明義務を果たすと同時に、バッドニュースを伝える場面で助け合える人間関係を大事にしたいと思います。 執筆:熊谷 靖代野村訪問看護ステーションがん看護専門看護師●プロフィール聖路加国際病院勤務後、千葉大学大学院博士前期課程修了。国立がん研究センター中央病院などでの勤務を経て、2016年より現職。2007年にがん看護専門看護師の資格を取得。編集:株式会社照林社 【引用文献】1)Buckman R: Breaking bad news: why is it still so difficult? Br Med J (Clin Res Ed) 1984; 288(6430): p.1597-1599.2)川崎優子著.「がん患者の意思決定支援プロセスに効果的に関与していた相談技術」,兵庫県立大学看護学部・地域ケア開発研究所紀要 2017; 24: p.1-11. 【参考文献】〇内富庸介,藤森麻衣子編.『がん医療におけるコミュニケーションスキル―悪い知らせを伝える』,医学書院,東京,2007.〇川崎優子著.『看護者が行う意思決定支援の技法30 患者の真のニーズ・価値観を引き出すかかわり』,医学書院,東京,2017.〇聖隷三方原病院症状緩和ガイド「E.予後の予測」 https://www.seirei.or.jp/mikatahara/doc_kanwa/contents7/71.html2023/10/20閲覧

最期・お看取りエピソード
最期・お看取りエピソード
特集
2024年2月27日
2024年2月27日

最期・お看取りエピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護では利用者さんの最期に関わることも数多くあります。「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードから、利用者さんやご家族の最期の希望に寄り添い支援した感慨深いエピソードを5つご紹介します。 「残された時間を一緒に」 最期を看取るという利用者さんの奥様の強い覚悟を受け止めて、無事支援しきったエピソードです。 残された時間がない療養者の在宅療養を受けることを伝え、在宅医に了承してもらった。医師は「明日帰れないかもしれない、ギリギリの状態だ」と話された。翌日、在宅医は民間救急の後ろを走行し、訪問看護師は自宅で準備をした。自宅につくと妻と初対面の挨拶を済ませ、ベッドに移送し酸素吸入、持続点滴等を実施し療養者のケアをした。妻は自宅療養に至った話をしてくれた。面会制限があり毎日電話で話していたが、数日で話せなくなった。最期は家で看取る決意で退院を希望したと話された。「義父母の最期も見送ってきた私の役目だ、その時まで一緒にいたい」と話され妻の強い決意を感じた。親しい人が「ひさしぶり」「カラオケいったなあ」と明るく笑顔で妻や孫を交えて過ごされた。その笑顔をみられてうれしく思った。深夜に「呼吸が止まった」と妻からコールがあり、医師の死亡確認のあと最期のケアをおこなった。妻は「最後に一緒に過ごせてよかった」と話された。 2022年12月投稿 「大切な時間」 残された時間の穏やかな日常をサポートできるのは、訪問看護の冥利なのかもしれません。 退院を機に自宅で最期まで過ごすと決められ、ご依頼をいただきました。優しい奥様と笑顔のご本人様。かわいい猫ちゃん。スタッフの前では、感じていたはずの「痛み・苦しみ・辛さ」マイナスの言葉は心の奥底に封印され、食べたいものを食べて、笑ってお話しされていました。入籍一周年を間近に控えられていたこともあり、「一緒にお祝いしましょうね。」と訪問看護チーム全員でお二人の時間をサポートさせていただきました。2ヵ月もないほどの時間。少しでも寄り添い、お二人の気持ちを穏やかにすることができていたならこれ程幸せなことはないと思います。ご本人様にとって、ご家族にとっていつ訪れるか分からない最期の時間は色々な思いがあふれ出す時間だと思います。「できる限りのことをする。」これがうちの管理者の考え方です。大切な時間を一緒に過ごさせていただいたことにスタッフ一同感謝しています。 2023年1月投稿 「よりみち」 望む最期を迎えられるよう、利用者さんとご家族の希望に寄り添ったからこそ贈られた感謝の言葉だったのだと胸打たれるエピソードです。 ステーションへの帰りによりみちすると、庭に人影があった。「ああ、お世話になりました、四十九日が終わったところです。」草むしりを再開しながら「今年は花が早く咲いているの。姉が早く見せてくれているみたい。」胃がんの末期。腹水コントロールができるなら家にとおっしゃり、ご家族の希望で未告知のまま在宅療養が始まった。「新しい時代が来ましたね。どうなるのか不安でしたが、こうやって自宅で過ごせることが分かって安心した感じです。」ナートした留置針と延長チューブを通り、腹水はペットボトルにドレナージされた。腹水がオレンジ色のころに「最期まで家に居させて。楽に逝かせてほしい。」赤くなったころ「もう長くないと思う。だったらなおさら家族に最期の時期をみてもらいたい。」希望通りに「気がついたら呼吸が止まっていて…」とステーションに電話があった。「姉の生活は見ていて理想でした。」別れ際に妹さんは言ってくれた。 2023年2月投稿 「初めての看取り」 利用者さんに寄り添い心情を汲み取った一言に、利用者さんの心が救われたことが分かるエピソードです。 訪問看護師になってもう13年が経ちますが、未だに1番初めに携わった末期癌の利用者様の看取りは忘れられません。その方はまだ65歳になられたお若い男性でした。その方には内縁の奥様がいて、利用者様の「家で死にたい」との思いを受けて、病院を退院されました。訳ありのお二人にはほかに家族はおられず。私達とケアマネが唯一の縁者でした。緊張の面持ちで家での生活が始まりました。お二人の生活は経済的に厳しい状況であったため、奥様はパートを休むことができず、その間は利用者様が一人になります。奥様のいない間、3回訪問を提案し、体調をみさせていただいていました。初めは緊張して何もお話ししてくれなかった利用者様が、緩和マッサージ行っていた時、奥様との馴れ初めや境遇をお話しくださり、涙を流して、もうすぐ奥様を残して旅立つ自分の情けなさと、独りになる奥様の心配を話してくださいました。「私たちがいますから、奥様は大丈夫です。」と思わずでた言葉に「ありがとう。」と微笑んでくださいました。数日後、奥様の膝枕で、微笑んだお顔で旅立たれました。今でも奥様は事務所に時々お顔を見せてくださっています。 2023年2月投稿 「最期の笑顔に寄り添って」 偶然の中に縁を感じるとともに、投稿者さんを看護師に導いてくれたお父様への感謝も感じられるエピソードです。 訪問看護師の仕事をして23年目。たくさんの出会いがあり、お別れもあった。ある日のこと、午前の訪問先と午後の訪問先は不思議なことに、お二人とも年齢は90代の男性。どちらも奥さんが介護されていた。そしてどちらも男性のお孫さんがそばにいた。手も足も指の色は紫色になり血圧も低く、血中酸素濃度は測定できない。それでも意識はしっかりされていた。午前の方は、お孫さんが子供の頃、学習塾へ送迎をされていたことを奥さんが思い出して話をされた。お孫さんはしっかりと手を握り、「おじいさんわかる?」と声をかけ涙を流された時、頭を持ち上げお孫さんの顔を見てにこりとされた。午後の方はギャッチアップして口腔ケアの後、「Mさん今日もかっこいいですね」と声かけ、すると微笑まれた。奥さん娘さんお孫さんとで記念撮影をした。お二人ともそれが最期の訪問となり、静かに旅立たれた。訪問看護師として人生の最期の時を伴走して、ゴールテープを切られるのを見届けた。2月1日の訪問看護。その日は、私に看護師になることを勧めてくれた父の命日だった。 2023年2月投稿 最期のお別れを共有する存在 看護師は人の生と死に立ち会うことのある職業です。今回は最期の別れのエピソードをご紹介しましたが、旅立つ方にはなるべく心安らかに、見送る方には後悔なく見送れることを願う看護師としての想いが伝わってくるようでした。最期の支援を家族とともにできる看護師の誇りを感じるとともに、別れの儚さや切なさなど、いろんな感情が入り交じる感慨深いエピソードです。 編集: 合同会社ヘルメース イラスト: 藤井 昌子 

在宅呼吸管理の進歩で「自宅に帰りたい」を実現
在宅呼吸管理の進歩で「自宅に帰りたい」を実現
インタビュー
2024年2月20日
2024年2月20日

在宅呼吸管理の進歩で「自宅に帰りたい」を実現/福永興壱先生インタビュー

呼吸器内科の最前線でご活躍されると同時に、コロナ制圧タスクフォースの研究統括責任者も務める慶應義塾大学 福永興壱先生に特別インタビューを実施。今回は、呼吸器内科医をめざされたきっかけや在宅酸素療法・在宅人工呼吸療法を受ける患者さんとの思い出深いお話をうかがいました。 慶應義塾大学医学部 呼吸器内科 教授福永 興壱(ふくなが こういち)先生1994年に慶應義塾大学医学部卒業後、慶應義塾大学大学病院研修医(内科学教室)、東京大学大学院生化学分子細胞生物学講座研究員、慶應義塾大学病院専修医(内科学教室)、独立行政法人国立病院機構南横浜病院医員、米国ハーバード大学医学部Brigham Women’s Hospital博士研究員、埼玉社会保険病院(現:埼玉メディカルセンター)内科医長、慶應義塾大学医学部呼吸器内科助教、専任講師、准教授を歴任。2019年6月に教授に就任し、2021年9月より同大学病院副病院長を兼任。2023年現在、日本で結成されたコロナ制圧タスクフォースの第二代研究統括責任者を務める。 呼吸器内科のエキスパートとして臨床・研究に邁進 ―まずは、先生が呼吸器内科に進まれたきっかけを教えてください。 元々は地域に根ざした医療を志して進んだ医学部でしたが、初期研修が始まり、最初に配属されたのが呼吸器内科でした。その際、喘息や慢性閉塞性肺疾患(COPD)、肺がん、肺炎など幅広い疾患を経験でき、急性期から慢性期まで診られることにやりがいを感じたんです。また、当時は医局員の数も少なく、小規模ゆえにチームとしての一体感がありました。熱意ある先輩医師たちが、1人の患者さんに対して一生懸命ケアする姿を見て、呼吸器内科に進もうと決意しました。 ―東京大学やハーバード大学の研究室ではどのような研究をされていたのですか。 喘息をはじめとする炎症性肺疾患の病態解明や、新しい治療法の確立につながるようなテーマに取り組んでいました。 人間の体内では常に炎症が起こっていますが、生体内の恒常性の維持(ホメオスタシス)によって、炎症を起こした後、正常な状態に戻ります。炎症がそのまま継続すれば恒常性が破綻し、病気になってしまいます。ハーバード大学では、この恒常性を維持するしくみに関する研究に携わりました。人間は体内で「炎症を起こす物質」と「炎症を抑える物質」の両方をつくることができ、それらが生体内の恒常性のバランス保持に貢献していることが分かったのです。これはハーバード大学で得られた大きな成果だと思っています。 ―福永先生は、現在副院長として病院経営にも携わっていらっしゃいますが、最新のお取り組みについて教えてください。 病診連携の一環として、退院調整をいかにスムーズに行うか、というところに課題があります。最近では、IT化を検討し、株式会社3Sunny(スリーサニー)が提供するオンライン上で入退院の調整業務ができる「CAREBOOK」というシステムを導入しました。また、医師の働き方改善も急ピッチで進めていかねばなりません。私は院内の「医師の働き方改革プロジェクト」を担当しているのですが、医療・介護機関向けのマネジメントシステム事業を展開する株式会社エピグノとともに、現在医師シフト管理システムの共同開発を行っているところです。 HOT導入で患者さんの療養生活の変化を実感 ―先生はさまざまな呼吸器疾患の患者さんを診てこられたと思います。これまでの患者さんへの治療で印象に残っているケースを教えてください。 私がまだ指導医だったころの話です。間質性肺炎が重症化し、どんどん酸素の流量が上がってしまった患者さん(60代、男性)がいました。その方が「家に戻りたい」と希望され、私たちも何とかご自宅に帰れるようにサポートすべく、在宅酸素療法(HOT)を導入することに。この患者さんの場合、酸素機器1台では酸素流量が足りないという課題があり、最終的には2台接続して流量を上げ、ご自宅に戻っていただくことができたという思い出があります。 HOTが普及する前は、病院の中央配管から酸素を供給されている患者さんは「家に帰れないのが当たり前」と考えられていました。それが、HOTという治療法を導入すればご自宅に帰すことができる。患者さんのご家族にも喜んでいただき、病院ではなくご自宅で最期を過ごしてもらえたというのは、当時の私にとってHOTの意義を痛感した出来事でした。「自宅に帰りたい」と強く希望される患者さんにHOTは大きなメリットになると感じました。 現在はネーザルハイフローという高流量の酸素投与システムがあるので、今ならそちらを使用しますね。でも、高流量の酸素が必要な方でも在宅に切り替えることができたのは、当時としては画期的でした。 訪問診療や訪問看護の存在も大きいですね。患者さんのご要望を踏まえて「自宅に帰す」という選択肢を考えても、病状の急変を懸念して迷うこともあります。在宅医や訪問看護師さんたちがしっかりと患者さんをみてくれるという安心感があったからこそ、はじめて「自宅に帰す」という選択肢が生まれたと思います。 また、結核病棟のある国立病院で働いていたときには、当時登場したばかりのNPPVの効果に驚かされたこともあります。肺結核後遺症で二酸化炭素(CO₂)が体内に蓄積し、危険な状態に陥った患者さんにNPPVを導入したところ、CO₂の値がよくなり、一度はご自宅に戻っていただくことができました。その患者さんは気管挿管をしない方針だったので悩んだのですが、NPPVという新しい治療法の効果を目の当たりにして、人工呼吸療法の発展を実感しました。 HOT患者さんが地域で支援されていることを実感 ―昨今、地域包括ケアシステムの推進により、在宅医療の充実が図られていますが、先生が大学病院で診療を行う中で感じている変化を教えてください。 そうですね、大学病院で診るHOT患者さんの数が減っているのではないかと感じています。感覚的にですが、以前はかなり多くの患者さんが酸素を持って通院されている印象がありました。だからと言って在宅酸素療法を受けている患者さんの数が減っているわけでなく、実際は漸増傾向にあります。 その背景には、地域連携の基盤づくりが大きく進んだことがあるのではないでしょうか。わざわざ大学病院に行かなくても、在宅医の先生が月に一度訪問診療を行い、訪問看護師の皆さんが援助や指導をしっかり行っている実態があると考えています。まさに在宅医療の充実ですね。在宅酸素を管理する軸が、これまでは大学病院や基幹病院だったのが、患者さんの家の近くにある診療所やクリニックへとシフトしてきた。それを支えているのは現場の在宅医、訪問看護師さんたちの働きであり、その積み重ねで少しずつ患者さんの療養生活を地域で支えるシステムが構築されてきたのではないでしょうか。このことは、在宅酸素の40年近くの歴史における大きな成果であると実感しています。 ―ありがとうございました。次回は災害時において訪問看護師さんに期待することについてうかがいます。 >>後編はこちら災害発生時の在宅呼吸管理 訪問看護師への期待/福永興壱先生インタビュー取材・執筆・編集:株式会社照林社

ニャースペースのつぶやき 夏
ニャースペースのつぶやき 夏
特集
2024年2月20日
2024年2月20日

在宅で大好きな農作業を…ニャースペースのつぶやき【訪問看護あるある】

自分のペースで農作業を続ける利用者さん 利用者さんの望む日常生活に寄り添えるのは、訪問看護ならではだにゃ! 利用者さんの中には、在宅療養中も長年の趣味や活動を継続したいという方もいらっしゃいますよね。楽しそうに日常生活を送る利用者さんの様子をみるのはうれしいもの。実際に訪問看護師さんから寄せられたエピソードをご紹介します。「90代の心不全の利用者さん。在宅お看取りの方針で、次に憎悪が起これば万が一のこともあり得る状況です。その利用者さんは野菜を育てるのがお好きで、お身体と相談しながら、休み休み農作業を続けています。ここまで動けるのが不思議なくらいですが、『野菜を育ててふるまうのが楽しい』とおっしゃり、ご家族も嬉しそうにその野菜を調理されている。とても素敵だと思います」 ニャースペース病棟看護経験5年、訪問看護猫3年目。好きな言葉は「猫にまたたび」「わかる!」「こんな『あるある』も聞いて!」など、みなさんの感想やつぶやき、いつでも投稿受付中にゃ!>>投稿フォーム

心不全の在宅移行と緩和ケアの課題&展望
心不全の在宅移行と緩和ケアの課題&展望
インタビュー
2024年2月20日
2024年2月20日

心不全の在宅移行と緩和ケアの課題&展望/クリニック医師×訪問診療医師 対談

広島市内で連携を視野に交流している、循環器専門の開業医・上田健太郎先生と、循環器外科から訪問診療に転身した伊達修先生。お二人に、心不全の地域診療の将来についてお話しいただきました。後編のテーマは、心不全の患者さんが訪問診療へ移行するケースや、心不全における緩和ケア、今後の展望について。心不全の在宅療養において訪問看護師に意識してほしいことも含めてうかがいました。 >>前編はこちら心不全の地域連携&心臓リハビリの重要性/クリニック医師×訪問診療医師 対談 ▼プロフィール上田 健太郎(うえだ・けんたろう)先生上田循環器八丁堀クリニック 院長1994年広島大学医学部卒業後、同大附属病院内科研修医、公立三次中央病院循環器科、広島市立安佐市民病院循環器内科副部長、JA尾道総合病院循環器科部長等を経て2015年より現職。循環器内科専門のクリニックとして、心臓リハビリテーションにも力を入れている。日本循環器学会認定循環器専門医、心臓リハビリテーション指導士、日本高血圧学会指導医。伊達 修(だて・おさむ)先生コールメディカルクリニック広島 副院長1994年広島大学医学部卒業後、県立広島病院、倉敷中央病院、北斗循環器病院、北海道循環器病院等で心臓血管外科医としてキャリアを積んだ後、2016年から地元の広島に戻り内科に転向。広島みなとクリニックを経て2020年より現職。訪問診療医として地域の患者さんに寄り添っている。日本循環器学会認定循環器専門医、日本脈管学会認定脈管専門医、日本外科学会外科専門医。※文中敬称略 終末期の患者さんを家で診るのは難しい ー現在、心不全の患者さんが訪問診療へ移行する一般的なケースを教えてください。 伊達:大きく分けて、2つのケースがあります。(1)終末期を自宅で過ごしたいと患者さんやそのご家族がおっしゃるケース(2)患者さんの高齢化により通院が難しくなるケース まずイメージしやすいのは終末期でしょう。基幹病院に入院していて退院が難しくなったり、入退院を繰り返して心身ともにつらさを感じるようになり「もう入院は嫌だ」とおっしゃる患者さんを基幹病院から紹介いただいたりするケースです。この場合は終末期緩和ケアを行うことになります。 訪問診療中の伊達先生 上田:ご本人や家族の強い希望が原動力となって訪問診療に移行するケースですね。 伊達:そのとおりです。(2)は、慢性心不全の患者さんが高齢になって通院が難しくなって在宅で受け入れるケース。上田先生が訪問診療との連携を考え始めたきっかけとしてお話しくださったようなケースですね。(前編を読む>>心不全の地域連携&心臓リハビリの重要性)慢性心不全は入退院を繰り返す病気ともいわれていますが、在宅で慢性心不全の治療を行うことで再入院率を下げることができないかと思いながら日々診療しています。 上田:伊達先生は、(1)と(2)のどちらのケースがより難しいと感じますか? 伊達:(1)の終末期の患者さんです。循環器疾患の終末期の患者さんを家で診るのは非常に難しい。がん患者さんの場合は、緩和のステージに入った段階で在宅を選ぶことが増えていて制度的にも整っているし、紹介する側である基幹病院の先生方の意識も十分醸成されている。一方で循環器となるとまだまだ在宅で過ごすことは難しいというムードが、患者さんにもドクターにも強いのだと思います。 上田:患者さんご自身やそのご家族も、「循環器の病気は病院で最期を迎えるのが当然」だと考えている部分もあるのかもしれませんね。 しんどいと思ったときが、緩和ケア導入時期 ー先ほど、終末期の緩和ケアに触れていただきました。心不全における緩和ケアについて、具体的なケア方法や導入時期などお聞かせください。 伊達:心不全は病気の症状そのものがつらいので、治療それ自体が緩和ケアのひとつだと思います。私はかなり手前の段階から、直接の疾患の治療とは別に症状の苦痛を取ることを真剣に考える必要があると思っているので、導入時期は「患者さんがしんどいと思ったとき」だと考えています。 ちなみに心不全領域の緩和ケアの話題でいうと、心不全緩和ケアトレーニングコースである「HEPT(HEart failure Palliative care Training program for comprehensive care provider)」が、若い先生を中心に広まりつつあるのは、大変頼もしいことだと思います。 上田:終末期には鎮痛目的での緩和ケアも行うことはありますか? 伊達:もちろんあります。ニトログリセリンを一日何回も使っていた在宅の患者さんにオピオイドを処方したら、「これは楽になる」といって使ってくれたケースもありました。症状が軽いうちに利尿剤の量や血圧の値を調整する治療を行ったんですが、在宅診療において治療と並行して患者さんの苦痛を取るケアをしていく必要性を感じましたね。 心不全の在宅診療は成長段階 ー心不全に関して、地域診療で感じる課題について教えてください。 伊達:まず、循環器疾患の終末期の患者さんが訪問診療を受けているケース自体が少ないんです。そうすると、当然ながら訪問看護師さんも心疾患のある方の終末期看護の経験数が少ない。講習会などで知識を得ても、実務経験が足りないというのはひとつの課題だと思います。 上田:私も同じ課題感を持っています。心不全の終末期を在宅で診る体制は経験も人材もまだまだ足りておらず、心臓の病気は急変があるので医師も看護師も敬遠しがちです。「心不全が増悪する、不整脈が出て倒れる、そうなったら対応に困る」と思われている方も多いでしょうが、安定しているときは安定するし、悪いところをうまく処置すれば回復もします。 経験を積んでくると「こういうときに悪くなりやすい」ということが分かるようになるし、分かると対応できるようになって自信にもつながります。 ー医師も看護師も、まず在宅診療の経験を積む必要があるということですね。 上田:そうですね。私のクリニックで行っている心臓リハビリは看護師に任せていますが、入職の段階で心臓リハビリの経験がある看護師は一人もいませんでした。ほとんどが経験ゼロで、経験者にサポートしてもらいながらレベルアップしていったので、訪問診療についてもまず経験してもらう必要があると思っています。 上田循環器八丁堀クリニックの皆さん 伊達:課題はありますが、将来の展望は明るいと思いますよ。どの疾患も通って来た道で、今は家に帰ることが珍しくなくなったがん患者さんも、一昔前は家に帰れなかったわけですから。 ただ、循環器の疾患の場合、良くなったり悪くなったりする特徴があるので、家で全部ケアするのは難しいと思います。悪くなったらどうしても基幹病院などで治療しなければいけないので、今後は病院と訪問診療と、さらに上田先生のような専門のクリニックとのやり取りがスムーズにできるようになることが求められるのではないでしょうか。 私たちが診ている心不全の患者さんでも自宅と病院を行き来する方はいらっしゃいます。ただ、私たちが介入しなかったらもっと行き来が増えてしまうので、少しでも家で落ち着いて過ごせる時間を延ばして、入院回数と入院期間を少なくすることが目標です。 どんな小さな変化でも知らせてほしい ー心不全の患者さんが在宅で療養するにあたって、訪問看護師はどのようなことを意識すれば良いでしょうか。 上田:先ほどの話と重複しますが、慢性心不全は良くなったり悪くなったりを繰り返す特徴があります。そして悪くなるきっかけはさまざまです。風邪で調子を崩すとか、1週間で体重が2kg増えたとか、不整脈が増えてきているとか。寒くなると血圧が上がるので、季節的な影響も大きいですね。そういった、バイタルも含めた体調の変化を把握して、医師に知らせてもらえるとありがたい。ある程度予測することができれば、再入院を回避できる可能性は高くなります。そうはいってもなかなか難しく、私自身もうまくいかないことはありますけどね。 伊達:上田先生と同じく、小さなことでもぜひ共有してもらえたら助かります。ACPの話(前編を読む>>心不全の地域連携&心臓リハビリの重要性)でもそうですが、看護師さんがご存じの患者さんの情報をどれだけ教えてもらえるかによって、医療の質が変わりますから。 とはいえ、「こんな小さなことで連絡するのは…」と共有を控えてしまう看護師さんもいらっしゃるだろうと思います。 上田:そうですね、医師へのいわゆる「報・連・相」に難しさを感じている訪問看護師さんが少なくないと思います。当院では患者さんに心不全手帳を持ってもらっていて、週1回リハビリに通っている患者さんに関しては非常に有効なツールだと感じています。そういうツールを介して医師とコミュニケーションを取ると仕事がしやすくなるのではないでしょうか。 伊達:看護師さんが医師に対して感じる壁を取り去るのは医師の責任だと思っています。当院では情報共有にメールを使っています。メールだと電話よりも報告しやすくなると思いますよ。医療用のSNSもありますが、まだ使いにくいところがあるので、もう少し使いやすくなるといいですね。 上田:私たち医師同士の連携だけでなく、医師と看護師との連携を進めていくことが、地域診療の可能性を広げるカギになると考えています。地域医療で心不全を診られる社会を、一緒に目指していきましょう。 ※本記事は、2023年11月の取材時点の情報をもとに構成しています。 取材・執筆・編集:YOSCA医療・ヘルスケア

心不全の地域連携&心臓リハビリの重要性
心不全の地域連携&心臓リハビリの重要性
インタビュー
2024年2月13日
2024年2月13日

心不全の地域連携&心臓リハビリの重要性/クリニック医師×訪問診療医師 対談

心不全診療の質の向上を目指した体制づくりとして「心臓いきいき推進事業」が行われている広島県。その土地で連携を視野に交流をしているのが、広島大学医学部同期の医師であるお二人。循環器専門の開業医である上田健太郎先生と、循環器のバックグラウンドをもつ訪問診療医の伊達修先生です。今はまだ数が多くないものの、今後はより一般的になっていくであろう心不全の在宅療養。訪問看護師が知っておきたい心不全の地域診療について、前後編に分けてお伝えします。 前編の今回は、地域医療における医師同士の連携や、心臓リハビリの重要性、ACP(アドバンス・ケア・プランニング/人生会議)などをテーマにお話しいただきました。 ▼プロフィール上田 健太郎(うえだ・けんたろう)先生上田循環器八丁堀クリニック 院長1994年広島大学医学部卒業後、同大附属病院内科研修医、公立三次中央病院循環器科、広島市立安佐市民病院循環器内科副部長、JA尾道総合病院循環器科部長等を経て2015年より現職。循環器内科専門のクリニックとして、心臓リハビリテーションにも力を入れている。日本循環器学会認定循環器専門医、心臓リハビリテーション指導士、日本高血圧学会指導医。伊達 修(だて・おさむ)先生コールメディカルクリニック広島 副院長1994年広島大学医学部卒業後、県立広島病院、倉敷中央病院、北斗循環器病院、北海道循環器病院等で心臓血管外科医としてキャリアを積んだ後、2016年から地元の広島に戻り内科に転向。広島みなとクリニックを経て2020年より現職。訪問診療医として地域の患者さんに寄り添っている。日本循環器学会認定循環器専門医、日本脈管学会認定脈管専門医、日本外科学会外科専門医。※文中敬称略 広島大学の同期が再会して地域を支える ーお二人は、大学の同期とのこと。まず、現在も含めて先生方のご関係について教えてください。 上田:大学時代はお互いに顔を知っている程度の関係でした。その後、伊達先生が心臓外科に進み、北海道で長く働いていたところから、広島に帰ってこられた。研究会で精力的にほかの先生と連携なさっている姿を見て、ぜひ自分も地域診療の未来を見据え、交流を深めていきたいと思ったんです。現在はまだ、飲み会での交流が中心ですが(笑)。 伊達:この前も交流しましたね(笑)。循環器内科の領域でいうと、上田先生は私の大先輩。外来の進め方や薬の使い方を教えてもらったり、地元の先生方を紹介していただいたり、とても心強い存在です。 ー伊達先生が、訪問診療へ軸足を移されたきっかけについても教えていただけますか? 伊達:札幌で心臓血管外科医として手術をする傍ら、地方の循環器系の医師がいないエリアの病院へ診療応援にも行っていたんです。そのとき、心不全の患者さんが家に帰れるようにするためには、循環器訪問診療が重要だと感じました。それで広島に戻り、手術室を離れて患者さんを診るようになったんです。 訪問診療車に乗る伊達先生 上田:通院メインのクリニックで診療を行っている私と、訪問診療を専門に行っている伊達先生とで、心不全の在宅診療推進に向けて連携をはかっていきたいと考えているところです。広島県全域でも、地域医療で心不全を診ていこうという動きがあります。 心不全の地域医療連携を広島市から ー広島県・広島市の地域全体でも、地域連携の機運が高まっているのでしょうか? 伊達:広島大学病院が中心となって、「地域連携・心臓いきいき推進事業」を行っています。講習会には訪問看護師さんや薬剤師さん、ケアマネジャーさん、訪問リハビリのセラピストさんなども積極的に参加なさっています。その影響もあって心不全の基本的な知識について興味をもっている人が多い印象ですね。心不全の地域医療を推進していく素地は整ってきているのではないでしょうか。 上田:それに加えて広島市はコンパクトな街ですので、住宅街から都市部への距離はそれほどありません。地理面からも連携をとりやすいと感じています。さらに県内の医学部は広島大学だけなので、広島市内でいえば医師同士、非常に連携しやすい。他大学出身の先生も広島大学の医局に入れば顔見知りになりますから。 理想は、クリニックと訪問診療の並走 ー上田先生が、訪問診療との連携を始めたいと考えるようになったきっかけについて教えてください。上田:私がクリニックを開業して8年が経ち(2023年11月現在)、患者さんも年齢を重ねてきています。なかには自力での通院が難しくなっている方や、コロナ禍を経て通院が途絶えている方もいらっしゃる。そうなるとADLも下がってくるし、心臓のコントロールもしにくくなってしまいます。 上田循環器八丁堀クリニック 当院は通院がメインのクリニックなので、今後はよりしっかりと往診専門の先生に連携をお願いする必要があると思っている段階ですね。伊達先生にもお願いができればと考えているところです。 ただ、いつも迷うのは「患者さんがどのような状態・タイミングのときに紹介するのが良いのか」という点。訪問診療医の視点から、どのように考えていますか? 伊達:ご配慮をいただいてありがとうございます。私としてはぜひ、早い段階から患者さんの情報を共有してもらえるといいなと感じています。もしかすると、専門クリニックから訪問診療医に「バトンタッチする」イメージかもしれないんですが、しばらくの間は「並走」できるのが理想ではないかと考えています。基本的な疾病管理は専門クリニックでしていただいて、日々の変化は私たちで診る、と役割分担できれば、患者さんの小さな変化にも気づきやすくなって、結果的に再入院の回避にもつながるのではないでしょうか。こんなふうに専門医もチームに引き入れて在宅診療を進めていきたいと思っています。 上田:なるほど。それなら、早々に連携をスタートした方が良いですね。あとで具体的な相談をさせてください。 伊達:ぜひお願いします。ところで、上田先生のクリニックでは開業時から心臓リハビリにもかなり力を入れておられますよね。強い想いがあって始められたのではと思っているのですが。 救命だけでなく、心臓リハビリも重要 上田:卒後5~6年目のとき、冠動脈2枝同時閉塞で夜間運ばれてきた30代の患者さんをなんとか救命しました。良かった、これで治った……と、思っていたのですが、1年後くらいに心不全で再来院なさった。そのとき「ステントを入れるだけでは駄目なんだ」ということを強烈に思い知らされたのが原点です。いくら救命しても、患者さん自身に「心筋梗塞はこんな病気です、薬は大切です、こんなことに気をつけましょう」というポイントを理解してもらわないと、心臓はもたないんだと痛感しましたね。 尾道総合病院時代の上田先生(左) その後、心臓リハビリに力を入れている総合病院に勤務することになり、患者さん同士がコミュニティを作ってオリエンテーションで交流をはかったり、勉強会を開いて自己研鑽なさったりしているのに驚きました。 伊達:そんなコミュニティがあるんですね。素晴らしい。 上田:そうなんですよ、驚きました。その経験があったので、自分が開業するときには心臓リハビリもできるクリニックにしたいと考えたんです。患者さん同士で「つらいのは自分一人じゃない」と共感し合えればいいなと思って始めました。 ー訪問診療に切り替える場合、心臓リハビリはどのようになさっていますか? 上田:過去に訪問診療に移行した患者さんのケースでは、訪問リハビリと情報連携して切り替えを行いました。運動療法はやめてしまうと効果ががくんと落ちるので、継続してもらえるやり方を模索していきたいですね。 伊達:心臓リハビリについても、私たちの連携によって叶えられることがありそうですね。 ACP(人生会議)の重要性を感じる機会が増えた 上田:私が伊達先生に聞きたいなと思っていたことのひとつが、ACPについてです。 伊達:訪問診療への移行とACPは切っても切り離せないテーマですね。 上田:私のクリニックでも高齢の患者さんが増えてきて、ACPの重要性を感じる機会が多くなりました。悪くなることを想定すると患者さんはなかなか頑張れない、でも心臓が限界を迎えるときは必ず来る。エンディングノートがメディアで取り上げられることも増えているので「自分はこうしたい」とはっきりおっしゃる患者さんもいて、そういう方は非常に助かります。でも、認知症が始まるとそれも難しいですよね。伊達先生はどんなタイミングでACPに必要な情報をヒアリングしておられますか? 伊達:在宅診療に移行するタイミングで私たちが介入するケースが多いので、初回、顔を合わせたときにお話をうかがうことが多いですね。できるだけ診療時間をとって、会話のなかで患者さんの価値観に触れられるよう対話を心がけています。それから、訪問看護師さんや訪問リハビリのセラピストさんたちに日常的な会話を通してさりげなくヒアリングしてもらい、フィードバックをお願いしています。看護師さんやセラピストさんは一定時間患者さんと一対一で話をしながらケアを行うので、患者さんも心を開きやすくACPにかかわる情報をたくさん開示してくれますね。 上田:ああ、とてもよくわかります。当院の心臓リハビリは看護師が担当しているんですが、短い診療時間では到底聞けないような話を患者さんから引き出してくれるんです。ACPを考える上で、本当に助かっていますね。 伊達:そうなんです。看護師さんやセラピストさんなしでは成り立たないと感じることが本当に多い。看護師さんやセラピストのみなさんが集めてきてくれた情報から患者さんの価値観・人生観が見えてきて、ACPを形作っていくイメージでしょうか。ただ、きちんとしたフォーマットで第三者が一目見てパッとわかる形にまとめるところまではできていないので、それは今後の課題だと思っています。 >>後編はこちら心不全の在宅移行と緩和ケアの課題&展望/クリニック医師×訪問診療医師 対談 ※本記事は、2023年11月の取材時点の情報をもとに構成しています。 取材・執筆・編集:YOSCA医療・ヘルスケア

「ほっちのロッヂインタビュー」枠にとらわれない『ケアの文化拠点』とは
「ほっちのロッヂインタビュー」枠にとらわれない『ケアの文化拠点』とは
インタビュー
2024年2月13日
2024年2月13日

医療と福祉と、エトセトラ。枠にとらわれない『ケアの文化拠点』とは

長野県軽井沢町のほっちのロッヂに足を踏み入れると、いわゆる「診療所」「訪問看護ステーション」から連想するイメージとは異なり、まるで別荘のような雰囲気。ほっちのロッヂでは、訪問看護ステーションを「家に訪問し医療のサポートをしたり、町全体の健康を考える活動のこと」と定義。訪問看護をする人たちのことは、「訪問もしますが、町のあちらこちらで働きながら、この町全体が健康な状態であるためにどんなことができるだろう?と考えているチーム」としています。 実際にほっちのロッヂで訪問看護をしている人たちは、どのような想いで、どんな働き方をしているのでしょうか。今回は前編でお話を伺った藤岡さんに加え、看護師の小宮さんと今井さんにもお話を伺いました。 >>前編はこちら多様な人たちが集まり「心地よい」と思える空間をつくる【藤岡聡子氏インタビュー】 藤岡 聡子(ふじおか さとこ)さん「老人ホームに老人しかいないって変だと思う」と問いを立て24歳で創業メンバーとして有料老人ホームを立ち上げ、アーティスト、大学生や子どもたちとともに町に開いた居場所づくりを実践。2015年デンマークに留学し、幼児教育・高齢者住宅の視察、民主主義形成について国会議員らと意見交換を重ね帰国。「長崎二丁目家庭科室」主宰(豊島区椎名町)、2019年より長野県軽井沢町にて「診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ」を医師の紅谷と共に開業し共同代表。共著に『社会的処方(2019学芸出版社)』『ケアとまちづくり、ときどきアート(2020中外医学社)』。今井 麻菜美(いまい まなみ)さんほっちのロッヂ 訪問看護ステーション 地域看護師急性期病棟、離島の病院、老人ホーム等を経て、「診療所と大きな台所のあるところ」に関心を持ち、ほっちのロッヂへ 小宮 彩加(こみや あやか)さんほっちのロッヂ 訪問看護ステーション 地域看護師病棟での勤務を経て、「医療福祉のクリエイティブ職」という言葉に惹かれ、ほっちのロッヂへ診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ(長野県軽井沢町)「症状や状態、年齢じゃなくって 好きなことする仲間として出会おう」をコンセプトに、大きな台所を起点とし、2019年訪問看護ステーション、2020年に在宅医療(外来・訪問診療)・共生型通所介護・医療型短期入所事業含め全事業開始。運営元:医療法人社団オレンジHP: http://hotch-l.com/Instagram: https://www.instagram.com/hotch_lodge/ 「クリエイティブ職」という言葉に惹かれて ―訪問看護師の小宮さん、今井さんのお二人は、ほっちのロッヂで初めて訪問看護をされているんですよね。まず、小宮さんはどういった経緯・想いでほっちのロッヂで働くことになったんですか? 小宮: 私は、病院に半年勤めたあと、「ほっちのロッヂ」にきました。きっかけは、自分の想いと病棟での仕事とのギャップですね。 自分の想いについては、看護大学院時代にさかのぼるのですが、私は病院の実習が大好きでした。お食事をあまり召し上がらない方がいたのですが、一対一でやり取りする中で、はしからフォークに変えたり、うどんを切るなどの工夫で、随分召し上がるようになった、という経験をしたんです。実習中はしんどいこともありましたが、そういったやりとりを通じて「こういう看護をしたいな」と思って、病院に就職しました。 病院が悪いと言っているわけでは決してないのですが、実際に働いてみると回転数についてや、延命の実際などについて目の当たりにし、「私がやりたいことってこれだったかな?」と心に引っかかる部分がありました。 そんなとき、この募集をみかけて「これだ!」と思ったんです。 ―ほっちのロッヂの求人ですね。どういった部分が心にささりましたか? 小宮: 私の場合は、点数とか入院日数とか回転率とかよりも、看護は「創り出すからこそ面白い」っていう感覚があったんです。誰がやっても同じではなくて、人とその時、その場の空気感とか目線とか、いろいろな要素があって、全部が組み合わさって、創り出していけるものが看護かなと思っていて。そこを追求していきたいと思っていたところに「クリエイティブ」という言葉が目に入って、「これだ!」と(笑)。 藤岡: ここに書かれている文言は、紅谷(※)が言ったことをベースに私が料理して生まれたものですが、天気とか季節とか気温とか、気分とか…。本当に不確実な要素がある中で人を相手にするわけですから、「クリエイティブのほかに何があるの?」って思っています。クリエイティブっていう言葉からはデザインとかを連想しがちですけれど、こんなに無形のクリエイティブさはないよな、と。 ※紅谷 浩之(べにや ひろゆき)氏:医師/医療法人社団オレンジ理事長/ほっちのロッヂ共同代表 小宮: 日によっても全く違うので、その瞬間、その場で創り上げていくものという感覚です。それが、しんどいけど面白いところですね。ほっちのロッヂでは、患者さんがいらしたときに「今回は外がいいな」って思ったら、本当に青空診療になります(笑)。 このお日様があって、この緑があって、この体調で外にいられるなら、外かなって。その時々で組み合わせ具合が全然違っていて、そこを逃さずキャッチできたぶんだけ、面白いケアになるって思います。 ―空間も含めて、つくっているんですね。 藤岡: そうですね。ただ、こちらだけがつくっているということではなく、互いに関係し合ってつくりあげている。そして、あくまで癒しは結果である。そんなイメージです。 森の中に佇むほっちのロッヂ3周年祭での記念撮影スタッフ勉強会の様子ほっちのロッヂ内のライブラリー いつの間にか訪問看護をしていた ―今井さんがほっちのロッヂで働くことになった経緯も教えてください。 今井: 私は急性期病棟で数年働いていたんですが、「やりたい看護はもっと別の場所にあるのでは」と考えて、離島に行ったんです。離島では退院した方々の笑顔にたくさん出会い、お家やご家族が持つ力をすごく感じました。「ここでの看護、好きだな」と思って、それ以来「住まいに近いところにいたい」という思いがあります。 結婚を機に関東に戻ることになった際も、島にいたころの看護ができる場所を探したんですが…なかなか見つかりませんでした。当時は訪問看護をする勇気はまだなくて、在宅サービスや老人ホームで働きました。 でも、あるとき同僚が体調を崩し、ケアすることもケアされることもできず、ただただ崩れていく…みたいな状況になってしまいました。そしてその後、私自身も近い状況になってしまったんです。「これは違うな」と思い、私はもう看護師という役割にこだわらなくてもいいと思いました。また、食生活の乱れを整えたら健康を取り戻したという経緯もあって、そのころから健康的に働くことや、健康を支える食事が自分の中のテーマになりました。 そんなとき、たまたま雑誌を開いたらほっちのロッヂの記事が出てきて、「診療所と大きな台所のあるところ」という副題に目を奪われました。「これはなんだ?」と(笑)。働く場所を探したというよりも、「診療所の台所って、どういう役割があるんだろう」とか、「どうやって健康を支えるんだろう」というところに興味がありました。 藤岡がやっていた「長崎二丁目家庭科室」のことも知っていたんですが、行こうと思ったらもう閉じていたっていう経緯もあって。藤岡と話をしてみたくて軽井沢に行って、気づいたらいつの間にか訪問看護をしていました(笑)。 看護師がたくさん関わる=「幸せ」ではない ―ほっちのロッヂでは、訪問看護ステーションのことを、「家に訪問し医療のサポートをしたり、町全体の健康を考える活動のこと」と定義されています。いわゆる「訪問看護師」という職種から想起される定義・枠を取り払おうとされているように思いますが、普段どのような活動をされているのでしょうか。 小宮: 「看護師としてこういうことをしています!」と決めつけてしまうこと自体がちょっと違うのかなと思っていて、何か特別な活動をしているという感じではないんです。 でも、地域の方々のことをよく見ようとしているというのはありますね。例えば、訪問先のひとつにご夫婦とも認知症で二人暮らしをされているご家庭があって、私たちは普段の買い物をどうしているのか、ずっと気になっていたんです。そうしたらたまたまあるメンバーが、奥様がコンビニに入るところを見かけたんですね。 そのまま様子を見続けると、コンビニの店員さんがカゴを積んでカートのようにして、買い物ができるようにサポートしていたんです。想像以上にご自身と生活圏内の方々の力で生活されていることに感銘を受けました。こういうときにすぐさま「私が助けなきゃ」と入っていく方もいらっしゃると思うのですが、私たちは「様子を見て把握しておこう」というスタンスでいます。 藤岡: 見守り続けるためにあえてお声をかけずに、少し付いて行ってますからね(笑)。でも、本当にメンバーのみんなは町の方々のことをよく見ているんです。地番を言えばどなたの家なのか全部言えますし、人間関係もめちゃめちゃ把握してる。地域の方々の生活圏内で起きているお話はしっかり聞かせてもらうし、見届けているんです。 私たちと全然関係のないところでどんな生活をされているのか、しっかり見ることはすごく大事。一方で、私たちが代わりにカゴでカートを作ることももちろんできるけれど、すぐに直接関わろうとしないことも大事だと思っています。このケースでは、コンビニの店員さんが、お客様だからということもあるんでしょうが、ある種の「ケア」をしているんですよね。 小宮: そうなんです。ステーションとしてほかの職種の方も交えて勉強会をやろうというときも、そこにコンビニの店員やバスの運転手さんがいないほうががおかしいんじゃないか、って思っているくらい、チームの皆がシームレスに考えているんですよね。 また、私たちがべったり週5日関われば、その方が幸せになれるとは思っていないんですよ。地域に住む方々には、それぞれに歴史やつながりがあります。例えば、かつて嫁姑問題に苦労されて、「雑巾の水をかけられていたけれど頑張ってきたんだ」といったお話もたくさん伺うんです。その方にとっては、同じタイミングで軽井沢に嫁いできて、近いタイミングでご主人を亡くされたご友人が心のよりどころで、すごく大切な存在だったりします。そのことを、我々が知っておくことは大事ですよね。 利用者さんがご主人を亡くされて悲しんでいるとわかったら、私たちも全力を尽くします。でも、「私たちがずっと一緒にいますね」ではなくて、「ご友人とお会いしたらどうですか」という風につなげていく場合もあります。そのご友人が、公民館で手仕事の活動をされているとわかると、「じゃあそこに参加するにはどうしたらいいか」と考えていくんです。 肩ひじ張らないからこそ「使われる」存在に 藤岡: 私たちは、「これをやります」という明確な区切りを設けていないので、つかみどころがなくてわかりづらいと思うんですが、肩ひじを張らないところがむしろ大事だと思ってます。だからこそ、地域の方が私たちをうまく使ってくださるんですよね。 例えば、いわゆるACP(人生会議/アドバンス・ケア・プランニング)ってありますよね。「人生最後の時をどう迎えていくか」っていう対話。2022年9月からほっちのロッヂでも月1回のペースで「生き方交換会」という言葉を作ってやっているんですが、実は我々から「ぜひ人生会議しましょう!」と言ったわけじゃないんです。地域の方から「人生会議みたいなことを私のカフェでやりなよ」っていうお話があって。それに対してチームの一人が「ああ、じゃあ、やりましょうか」みたいな風にして始めたんです(笑)。 今井: 生き方交換会では、形式は決めずその時自分たちが話したいことを話していきます。例えば、最近の嬉しかったこと、今心に引っかかっていることなどです。集まる人は年齢も経験もさまざまなのですが、「実は最近お看取りをして、その人の思い出をたどりたい」という方が「こんな風に最期を過ごせてよかった」と教えてくれて、そういう過ごし方あるんだな、と知ることができます。 話す内容に関する思い出が蘇って、それが嬉しいときもあれば少し辛いときもあると思うんですが、語り手は「絶対聞いて」「そのとおりに受け止めて」って押し付けることはしません。また、聞き手が決めつけたり否定したりすることもなく、それぞれがテーブルに自分の想いを置いていく感覚というか。受け取りたい人が想いを受け取って、またそこからまた新しい想いが生まれて、まわっていく…というイメージですね。生き方交換会という言葉にも繋がりますが、自然と「想いを交換」しています。 いきなり登場人物になろうとしない 藤岡: 生き方交換会の場では、私たちは輪の中には入っているんですが、やっぱり「看護」を振りかざすことなく、ただそこにいて、見ているという感じですね。決して傍観者ではないんですが、「〇〇さん」という方がいたときに、〇〇さんの人生の登場人物の中に、いきなり自分たちを持ってこないというイメージです。私たちは「〇〇さんの隣」というよりは、「ふたつ隣」くらいの距離感がちょうどいいかなと。 私たちの活動に目立つ要素や派手さみたいなものは必要ないと思っていて、「私たち訪問看護ステーションです!」とグイグイいくのも違うと思っているんですよね。〇〇さんの目の前にいる「登場人物」の方々に、当たり前ですができることを最後までやって欲しいんですよ。 必要に応じて、もちろん私たちが出るべきところは出るんですが、それはギリギリまで待つ。ご本人あるいは医療者じゃないご本人の周りにいる方たちに、いかに登場して活躍していただくかというのが大事だと思っています。 制限がある中でも、挑戦する仲間がいる ―訪問看護師として働く中で、事業所の利益・報酬単価との兼ね合いや「〇〇は看護師の仕事ではない」といった線引きがあって、なかなか決められた枠を超えた動きが難しいと思う方もいらっしゃると思います。そういった方々に対してメッセージをいただけないでしょうか。 藤岡: 難しいですよね…。目の前のケアに集中すれば、当然単価の話は出てきますよね。さきほど出てきたお話は、インフォーマルなケアなので。でもやっぱり、目の前の人のことを「自分一人で全部やろう」と思わないこと、家族や隣近所の方々に登場人物として出てきてもらうことが大事だと思います。 小宮: 今のお話、看護学部時代に学んだナイチンゲールの「看護覚え書」の言葉を思い出しました。 藤岡: えっ、なになに?ナイチンゲールはなんて言ってるの? 小宮: 看護師がいない時に、どう回るかを考えてマネジメントすることが重要だということですね。 「責任者たちは往々にして、『自分がいなくなると皆が困る』ことに、つまり自分以外には仕事の予定や手順や帳簿や会計などがわかるひとも扱えるひともいないことに誇りを覚えたりするらしい。私に言わせれば、仕事の手順や備品や戸棚や帳簿や会計なども誰もが理解し扱いこなせるように──すなわち、自分が病気で休んだときなどにも、すべてを他人に譲り渡して、それですべてが平常どおりに行われ、自分がいなくて困るようなことが絶対にないように──方式を整えまた整理しておくことにこそ、誇りを覚えるべきである。」ナイチンゲール,フロレンス著、湯槇 ます/薄井 坦子/小玉 香津子/田村 眞/小南 吉彦 訳 『看護覚え書―看護であること看護でないこと (改訳第7版)』より引用(2011、現代社)より引用 私たちが関われるのは24時間の中で1時間程度というわずかな時間ですし、その方の暮らし全体も視野に入れないといけないですよね。 今井: そうですね。あとは、「枠を超えた働きができない」と葛藤している看護師さんには、「やりたいけどできない」っていう気持ちがあると思うんですよね。そう思っている方々に、「ここにやっている仲間がいるよ」って伝えたいです。 藤岡: いいこと言う! 一同: (笑) 藤岡: 実際に息苦しく働いている方もいらっしゃると思いますし、人によっては死活問題だと思います。でも、私たちのように実践している現場もありますから。もちろん、私たちもやりたいことを完全に自由にやっているわけではなくて、他の職種の方々との連携とか、地域や事業者独自のやり方などに苦しむことはありますよね。制限がないわけはないんですが、その中でもやっている人はいるよ、ということが誰かの勇気につながると嬉しいですね。 ―ありがとうございました! 取材・執筆・編集: NsPace編集部

百日咳の症状・原因・治療法について解説
百日咳の症状・原因・治療法について解説
特集
2024年2月13日
2024年2月13日

百日咳の症状・原因・治療法・ワクチンについて解説。咳で骨折することも?

百日咳は、世界と比較すると日本での発症率は低いものの、発症すると激しい咳によって生活に支障をきたす可能性がある疾患。ワクチンを接種した上で、適切に感染対策を行うことが大切です。この記事では、百日咳の症状や原因、治療法、ワクチンなどについて改めて解説します。訪問看護師さんご自身や家族の健康管理はもちろん、利用者さんのアセスメントに役立てるためにも、基礎知識をおさらいしておきましょう。 百日咳とは 百日咳は、けいれん性の咳が現れる感染症です。多くの場合は軽症で済むものの、免疫が不十分な乳児期には重症化することがあります。日本をはじめ、世界中でDPT三種混合ワクチンやDPT-IPV四種混合ワクチン接種が普及したことで、百日咳は激減しています。しかし、ワクチンの未接種や免疫機能の低下などの要因により、世界でしばしば流行しているのが現状です。 百日咳の症状 百日咳の経過は、以下の3つに分類されます。 カタル期2週間程度続き、少しずつ咳が強くなっていきます。痙咳期(けいがいき)2~3週間にわたりけいれん性の咳が続きます。短い咳が続いたり、「ヒューヒュー」という呼吸音がみられたりすることもあります。回復期回復期では2~3週間かけて症状が和らいでいきます。 多くの場合は、発症から2~3ヵ月程度で完治します。微熱程度で済むほか、乳児の場合は目立った症状がみられないことも少なくありません。無呼吸発作をきっかけに受診したところ、百日咳が判明するケースもあります。 また、大人が百日咳に感染した場合は、乳幼児と違い、重症化することは少ないですが、原因不明の発熱を伴わない発作的な咳が2週間以上続きます。 百日咳の原因 百日咳の原因は、百日咳菌の感染です。ただし、パラ百日咳菌によって発症する場合もあります。感染経路は飛沫感染と接触感染です。 百日咳の治療法 生後6ヵ月以上の場合、マクロライド系抗菌薬を使用します。特にカタル期に治療を始めることが有効です。ただし、新生児の場合はマクロライド系抗菌薬の使用による肥厚性幽門狭窄症(ゆうもんきょうさくしょう/IHPS)の発症リスクが上昇することがあるため、アジスロマイシンによる治療が推奨されています。また、咳に対しては鎮咳去痰剤を使用し、必要に応じて気管支拡張剤の使用も検討します。 百日咳の自宅での対応方法 症状が軽い場合、自宅療養で問題ありません。ただし、症状が軽いかどうかの判断が難しいため、けいれん性の咳が出た際は医療機関を受診し、薬物療法を受けることが大切です。 自宅では静かに過ごし、咳が激しいときは水分や食事の摂取を複数回に分けましょう。また、咳が激しい、呼吸困難になっている、嘔吐が続いて水分を十分に摂取できないといった場合は、速やかに医師に相談する必要があります。 百日咳の出勤・出席停止の扱いについて 百日咳は第2種感染症に定められており、症状がなくなるか5日間におよぶ抗菌薬による治療が終了するまでは学校は出席停止です。ただし、学校医やその他の医師の判断のもと、出席停止期間は変更できます。 職場への出勤については、明確な規定は定められていません。まずは医療機関を受診し、医師の判断を仰ぐことが大切です。その上で勤務先に連絡し、欠勤するかどうか話し合って決めましょう。 百日咳のワクチンは? 世界中でDPT三種混合ワクチンが普及しています。日本では、DPT三種混合ワクチンだけでなく、不活化ポリオワクチンを含むDPT-IPV四種混合ワクチンが定期接種となっています。接種スケジュールは生後3ヵ月以上90ヵ月(7歳6ヵ月)未満で4回接種です。最初の3回の初回免疫と最後の1回の追加免疫に分類されており、初回免疫は20~56日の間隔で3回、追加免疫は3回目の接種から6ヵ月以上の間隔で1回行います。 ただし、ワクチンの効果は4~12年かけて次第に弱まっていくため、ワクチンを接種していても百日咳にかかる可能性があります。特に乳児への感染はリスクが高いため、妊娠後期にDPT三種混合ワクチンを接種し、母体の感染を防ぐとともに、赤ちゃんが抗体を持って生まれてくるようにすることで、生後1ヵ月未満の新生児期の感染を防ぐことが推奨されています。 百日咳の咳がひどいと骨折することもある? 百日咳は激しい発作的な咳が特徴で、これが繰り返されることで肋骨骨折が発生する可能性も。激しい咳の衝撃によって肋骨に負担がかかり、繰り返しの咳によって疲労骨折が引き起こされます。特に高齢者や骨粗しょう症の方など骨がもろく弱い人は、骨折のリスクが高まります。 もし、胸部に痛みを感じるときは速やかに医療機関を受診し、骨折に関する診断と適切な治療を受けましょう。 百日咳に一度かかると二度とかからない? 百日咳は終生免疫を得られる感染症ではありません。一度感染しても、再びかかる可能性があります。6ヵ月未満の乳児は特に注意が必要であり、予防接種を受けて感染と重症化のリスクを抑えることが重要です。 * * * 百日咳は、けいれん性の咳を特徴とする感染症で、終生免疫を獲得できないことから生涯に複数回かかる可能性があります。乳児は重症化しやすいため、家族が百日咳にかかった際は家庭内でなるべく接触しないよう注意が必要です。今回、解説した内容を自身の健康管理や利用者さんからの質問対応に活かしてください。 編集・執筆:加藤 良大監修:豊田 早苗とよだクリニック院長鳥取大学卒業後、JA厚生連に勤務し、総合診療医として医療機関の少ない過疎地等にくらす住民の健康をサポート。2005年とよだクリニックを開業し院長に。患者さんに寄り添い、じっくりと話を聞きながら、患者さん一人ひとりに合わせた診療を行っている。 【参考】〇国立感染症研究所「百日咳とは」https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/4772023/11/20閲覧〇一般社団法人日本プライマリ・ケア連合学会「ワクチンと病気について」https://www.vaccine4all.jp/topics_I-detail.php?tid=452023/11/20閲覧

「ほっちのロッヂ」藤岡聡子氏インタビュー
「ほっちのロッヂ」藤岡聡子氏インタビュー
インタビュー
2024年2月6日
2024年2月6日

多様な人たちが集まり「心地よい」と思える空間をつくる【藤岡聡子氏インタビュー】

長野県軽井沢町の「ほっちのロッヂ」は、「ケアの文化拠点」を掲げ、「症状や状態、年齢じゃなくって 好きなことする仲間として出会おう」を合言葉に、枠にとらわれない活動をしています。「診療所」「訪問看護ステーション」「デイサービス」などを行っていますが、一般的に想起するイメージとは異なります。大きな台所やアトリエがあり、医療資格の有無や年齢、病状等に関わらず、さまざまな人たちが出入りします。医師の紅谷浩之氏とともに、ほっちのロッヂの共同代表を務めるのは、福祉環境設計士の藤岡聡子さん。今回は、藤岡さんのこれまでのキャリアについてや、ほっちのロッヂが生まれた背景などを伺いました。 藤岡 聡子(ふじおか さとこ)さん「老人ホームに老人しかいないって変だと思う」と問いを立て24歳で創業メンバーとして有料老人ホームを立ち上げ、アーティスト、大学生や子どもたちとともに町に開いた居場所づくりを実践。2015年デンマークに留学し、幼児教育・高齢者住宅の視察、民主主義形成について国会議員らと意見交換を重ね帰国。「長崎二丁目家庭科室」主宰(豊島区椎名町)、2019年より長野県軽井沢町にて「診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ」を医師の紅谷と共に開業し共同代表。共著に『社会的処方(2019学芸出版社)』『ケアとまちづくり、ときどきアート(2020中外医学社)』。 診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ(長野県軽井沢町)「症状や状態、年齢じゃなくって 好きなことする仲間として出会おう」をコンセプトに、大きな台所を起点とし、2019年訪問看護ステーション、2020年に在宅医療(外来・訪問診療)・共生型通所介護・医療型短期入所事業含め全事業開始。運営元:医療法人社団オレンジHP: http://hotch-l.com/Instagram: https://www.instagram.com/hotch_lodge/ 定時制高校での出会いが歪みを直してくれた ―まずは、藤岡さんのこれまでのご経験、キャリアについて教えてください。 私は元々、人材教育会社でキャリアをスタートさせたんですが、働き始めて1年を過ぎたあたりで、たまたま友人から「老人ホームを作ろう」と言われたんですよ。そして、私自身、思い当たることもあり、気づいたら「いいじゃん!つくろう!」って言っていたんですよね(笑)。「人の暮らしのど真ん中に入っていく」きっかけは、この老人ホームの立ち上げでした。まったく違う業界から、いきなり24時間対応の50人程度の規模の老人ホーム運営に携わることになったんです。 少し幼少期のことにさかのぼりますが、私は小6のときに医師だった父を亡くしています。当時弱っていく父を子どもながらに「怖い」と感じ、きちんと父の死に向き合えなかったという心残りがある。そして人が生きることや死ぬことをどう捉えていいかわからなくなり、母親と話すことや学校に行くこともしんどくなり、いわゆる不登校と言われる時期を過ごしていました。人からは不良というレッテルを貼られることも珍しくなかったですね。世間から自分のことを見た目や境遇でそのように扱われることも、とても苦しかった。 進学を機に私の考えは大きく変わったと思います。唯一受験して合格できた先は夜間定時制高校。そこに通い始めたら、学校やアルバイト先で年齢もバックグラウンドも多様な人たちとの出会いがありました。その出会いが私の「歪み」を直してくれたんです。そういった経験を通じて、全く違う属性の人と混ざり合うことの大切さを実感していたので、「老人ホームに老人しかいない」という状況は、そもそも自分の中に引っかかってくるわけですよね。 ―そうなのですね。では、どういった老人ホームになるのがよいと思われますか? 目の前の方がどんな症状・状態であっても、その人が「ああ、本当に今日生きていてよかった」と思える空間を作りたいという気持ちがあるんです。人が「心地いいな」とか「今日はいい出会いがあったな」とか、地味かもしれませんが「お茶が美味しかったな」とか。そういった日常の嬉しさに気付ける空間が、どんな人にもきっと必要だろうと思うんです。 だから、例えば「85歳で要介護2だから、あなたはここね」と振り分けてしまうことに違和感があります。また、介護や医療の専門性ももちろん大事なのですが、今の私のような「そうじゃない専門性」もあっていいよなっていう思いをずっと持っています。 ジブリの映画『崖の上のポニョ』でデイサービスと保育園が併設されているのもいいなと思って。決して制度や機能面から入ったわけではなく、あらゆる状況の方たちが町が洪水になったとしても、「誰かの(恋路を)猛烈に応援する!」と、生ききっているわけですよね。その横顔や描写にとても感動したのです。 ですから、友人に声をかけられた時に思っていたのは、有料老人ホームの中にカフェをつくって、カフェの2階は近所の小学校に通う子どもたちが放課後に立ち寄れる学童保育のようなことをして、あらゆる世代が出会える場にしたいと思っていました。 世代・属性が異なる人たちが集う場をつくりたい ―当時、そのプランに対してのまわりの皆さんの反応はいかがでしたか。 介護職の人たちには、私の考えはまったく理解してもらえませんでしたね。あえて言ってしまうと、「何の専門性もない人間が老人ホームを作っている」という状況ですから。「老人ホームに老人しかいないのは当たり前で、それを変だと疑う人のほうが変」「老人ホームに子どもたちが入ってきたら危ない」とも言われました。私物を隠されてしまうなど、いじわるをされてしまったこともあります。私も当時は若かったので(笑)、「あんまり専門職の子たちと私は合わないのかな」という気持ちにもなってしまいました。 そういった経緯があったのと子育てや母の看病の都合もあって、老人ホームから離れて、大阪から東京に引っ越しました。東京ではさまざまな職業の人と仲良くなって、地域の方々との出会いもたくさんありました。やっぱり私は人が心地よく暮らしていく環境をつくること、整えていくことにすごくフィーリングが合うんですよね。 でも、同時にいわゆる「ケアの現場」の近くにいない方たちっていうのは、町ゆくおじいさん・おばあさんたちとの関係がちょっとぎこちなくなってしまうんだな、ということも感じました。例えば、「あのおじいさん、腰が曲がってて、スリッパ履いてるし、変わった歩き方だけど大丈夫かな」と思っても、声をかけづらい。声をかけて「何かあったらどうしよう」と思うみたいですね。 やっぱり私は、年齢や状況に関わらず、ともに心地よいと思える環境を作りたいと思っていましたし、ケアの現場と距離がある人たちにはできなくて、私だからこそできることがあるなと思いました。だから、世代や属性が離れているような人たちが出会う場所を作ってみたんですよね。ほっちのロッヂを立ち上げる前につくったのが「長崎二丁目家庭科室」です。元々空き家をリノベーションしてゲストハウスを作っているチームと話をしているうちに、「この取り組みを地元の方がなかなか理解してくれない」と。一方で地域の方々とコミュニケーションをとっていると、手仕事・暮らしに関する特技をお持ちの方が多い場所だなと思って。これをもっと日常的に地域の方同士が会えるような環境を作ることができたら面白いと考えて、そのゲストハウス1階を間借りし、「長崎二丁目にある、家庭科室」を名乗ったわけです。 長崎二丁目家庭科室 東京都豊島区にて2018年まで運営されていた福祉・多世代交流の場。 「ようこそ、長崎二丁目家庭科室へ。」(https://nagasaki2-baseforeveryone.tumblr.com/ ) 長崎二丁目家庭科室には、なんとなく町の人たちが集まってきて、編み物とかをして、本来は出会わなかった他者が出会う環境を作ることができて。「ああ、これいいな」と思いました。誰かが何かを教えてると思ったら、逆に教わる側に行っていることもあったりして、関係性が容易に逆転する空間でもありました。 紅谷医師と意気投合し、ほっちのロッヂ誕生 ―その後、ほっちのロッヂを立ち上げられていますが、きっかけはなんだったんでしょうか。 軽井沢町のある教育機関の方針に共感して、代表者に会いにいったことがあるんですが、それがきっかけですね。私はその教育機関に、教育と地域をからめて何かできないかと提案したんです。結果的には制度の壁もあって叶わなかったのですが、実は同時期に時間差で紅谷(※)も同じ方に会いにいっていました。紅谷もその教育機関へ子どもたちを真ん中にするまちづくりがしたい!と提案を持っていくほど熱意があったので、代表者の方が「藤岡さんと紅谷さんが会ってみたらどうか」と紹介してくれたんです。まったくの初対面なので、「誰!?」と思いながら、ちょっと緊張しつつ顔を合わせました(笑)。 ※紅谷 浩之(べにや ひろゆき)氏:医師/医療法人社団オレンジ理事長/ほっちのロッヂ共同代表 でも、すぐに気が合いましたね。私が地域で「教える側・教えられる側の関係性が逆転する空間」っていいな、と思ったのと同様に、紅谷はケアの対象だと思っていた医療的ケア児とのコミュニケーションを通じて、「医師として変われた」「学べた」ということを、とても大事な経験として持っていました。そして、あらゆる状態にある子どもたちが学んだり、遊べたりする子ども中心の町・地域を作りたいという想いを持っていたんですよね。医療的ケア児のコミュニティを全国に広げて、「軽井沢で1ヵ月空き家を借りたからキャンプしよう!」なんてこともできちゃう行動的な人だったんです。 参考: オレンジキッズケアラボ「軽井沢キッズケアラボ」 私が「老人ホームに老人しかいないのは変だと思う」って言ったことに対しても、紅谷は「ワハハ! さとちゃん(※藤岡さんのこと)、面白い!」って言ったんですよ。そんな反応をされたことがなかったので、「え?こんな人初めて!」と驚きながらも「そうだよね!」と意気投合して。 こんな風にたまたま在宅医療をやっていた紅谷と、そうじゃない人間である私が出会って始めたのが「ほっちのロッヂ」なんです。 得意なことがたまたま「在宅医療」だった ―藤岡さんの意見を受け入れてくれる紅谷先生との出会いがあったからこそ、「ほっちのロッヂ」があるんですね。 そうですね。こういう始まり方なので、私にとっては紅谷が医師であろうがなかろうが、いい意味で関係がなかったのです。自分の価値観に共感してもらえた経験がないまま数年過ごしてきた中で、たまたま紅谷が共感してくれて、たまたま医師で、在宅医療をやっている人だった。そこまで知っちゃったら、そういう人に対して一緒に「ケーキ屋さんやりませんか」とか、「宿をやりませんか」とか言えないですよね(笑)。 「じゃあ診療所だ」って思って。その中でも、医師も看護師も医療的な専門性のない人も含めた、いろんな人からできたチームをつくろうと思ったんです。作り手側がお互いやってみたいと思うことの実現のために、「在宅医療」っていう得意技を使ったということですね。やるからには本気で取り組んでいますし、医師も看護師も必要です。それに加えて、私は人がここにいて「気持ちいいな」「嬉しいな」「いい一日だったな」と思える空間をつくりたいという願いがあるので、それを実現していくために少しずつ動いたという感じですね。 ―「訪問看護ステーションをつくりたい」「診療所をつくりたい」という箱や枠の部分から考えるのではなく、「こういう場をつくりたい」が先に来ていたんですね。 次回は、ほっちのロッヂで訪問看護師として働く方々も交えてお話を伺います。>>後編はこちら医療と福祉と、エトセトラ。枠にとらわれない『ケアの文化拠点』とは 取材・執筆・編集: NsPace編集部

糖尿病【訪問看護師の疾患学び直し】
糖尿病【訪問看護師の疾患学び直し】
特集
2024年2月6日
2024年2月6日

「糖尿病」の知識&注意点【訪問看護師の疾患学び直し】

このシリーズでは、訪問看護師が出会うことが多い疾患を取り上げ、おさらいしたい知識を提供します。今回は糖尿病について、訪問看護師に求められる知識、どんな点に注意すべきなのかを、在宅医療の視点から解説します。 この記事で学ぶこと 糖尿病患者の在宅療養では、脳卒中や心筋梗塞、低血糖症などの救急搬送を要する疾患の発症予防や、■高血糖 ■低血糖 ■シックデイ ── などへの留意が必要です。そのためには、外来受診や訪問診療での医師の診察に加え、ケアマネジャーを中心とした地域の訪問薬剤管理指導や訪問看護、訪問栄養指導、訪問リハビリテーション、訪問介護等のサポートと、何よりご家族の協力が不可欠です。シームレスかつタイムリーな地域連携のために、ハイセキュリティな医療用SNSをはじめとしたICT利用や、日本看護協会が推奨する特定行為研修修了看護師の地域配置が、一助になると考えられます。 在宅医療での糖尿病患者の特徴 在宅医療で介入が必要な糖尿病患者は、高齢や認知症だけでなく、廃用症候群や摂食嚥下障害の合併があり、高血糖、低血糖、シックデイ、自己管理困難、介護力不足など、複数の療養阻害要因を抱えるケースが散見されます。これらに対して安全性を担保するために、以下の対応が必要です。 治療方針 在宅での高齢者糖尿病患者では、身体機能や認知機能、心理状態、社会的環境を勘案し、個別的かつ総合的に目標を設定することが求められます。具体的には、認知機能やADL、そして重症低血糖リスクが危惧される薬剤の使用有無によって、血糖コントロール目標値を設定します。詳細は「高齢者糖尿病診療ガイドライン」1)を参照してください。 糖尿病を持つ患者への訪問看護 訪問看護では、患者の協力体制を得ることが不可欠です。血糖自己測定(SMBG)の値推移、日々のバイタルサイン、身体状況からアセスメントして推測される状況を、医師へ報告する必要があります。 患者ごとの血糖コントロール方針が立てられる 高齢患者では、「高齢者糖尿病の血糖コントロール目標(HbA1c値)」2)に沿って、年齢や認知機能などをもとに、カテゴリー分類が判断されます。高齢者では、健康状態や治療内容によって、血糖コントロールの方針が異なります。必ずしもHbA1c値を下げるのがよいわけではなく、カテゴリーによってはHbA1c値を緩徐に上げる場合もあります。そのため、連携先の医師と、患者の情報を共有することが重要です。 患者のADLや年齢、薬剤、残存疾患といった情報から、患者にとって最適な血糖コントロールが判断されます。患者に接する機会が多い医療職である訪問看護師が、患者との人間関係を構築し、日常生活の情報を聞き取り、医師へ情報提供できる体制が望ましいでしょう。また、患者に対し、日々の治療に対するモチベーションが低下しないよう、血糖測定や内服を忘れず実施できていることへの労りの声掛けも大切です。 過去に低血糖を起こした既往がないか 低血糖は生命リスクを高めます。過去に低血糖を起こしていればリスクが高いと判断し、対応することが必要です。シックデイの際にはどのような対策をとればよいか主治医に相談の上で、患者へ指導します。 また、低血糖を頻発している人は、交感神経症状である発汗や頻脈、手指振戦が出ないこともありますので、中枢神経症状である頭痛や集中力低下がないかを注視することも必要です。 薬剤の服薬状況 過去に処方されて余っている薬などがないかを、確認する必要があります。過去処方されていたスルホニル尿素薬(SU薬)など、低血糖を惹起する血糖降下薬が出てきたから「今の薬とあわせて飲んでしまった」というケースもありえ、場合によっては救急搬送や致命的な状態に至る場合もあります。現在処方されている薬だけではなく、過去処方の残薬がないかを初回介入時に調べることが重要です。 訪問看護師に求められる対応とそのポイント 低血糖 低血糖で現れる自律神経症状(発汗、動悸、手の震えなど)が高齢者では現れにくく、高齢者は低血糖となっても無自覚となりやすい特徴があります。高齢者の低血糖は、転倒や骨折、うつ状態の誘因になるともに、認知症発症の危険因子でもあります。QOLの低下にもつながるため、注意を要します。 経口摂取が可能な場合は、ブドウ糖10gまたはブドウ糖を含む飲料200mLを摂取し、15分後に血糖を再測定します(ブドウ糖以外の糖類では効果発現が遅れます)。 経口摂取が不可能な場合は、ブドウ糖や砂糖を口唇と歯肉の間に塗りつけ、グルカゴンがあれば1mgを注射し、医療機関に搬送となります。応急処置で意識レベルが一時回復しても低血糖の再発や遷延があり、注意を要します。 シックデイ 急性疾患の併発等によって、血糖コントロール悪化、食事摂取量低下があれば、対策が必要です。可能であれば血糖値を頻回に測定しながら、家庭ではできるだけ経口的に、水分・炭水化物・塩分を摂取させます。お粥やスープ、お茶、ジュース、アイスクリームなどが摂取しやすいとされています。 薬剤コンプライアンスとアドヒアランス 独居や老老介護生活の患者の場合、在宅医療の開始となった早期に、残薬整理の介入を実施することは、過量服用や薬剤不適切使用の防止に有用な手段です。 また、訪問薬剤管理指導により、薬剤師が定期的に生活状況を確認することで、食前食後薬の用法統一、腎機能・血糖値・食事量を考慮した減薬、認知機能や運動機能を考慮した注射剤デバイス変更など、処方への提案が可能です。薬剤師による電話フォローも、コンプライアンス、アドヒアランス両方の向上に寄与すると考えられます。 自己血糖測定や自己注射の援助 自己管理が必要にもかかわらず、それが困難な患者では、 ■家族や訪問看護による他者管理■訪問薬剤管理指導、訪問介護等による見守りのもとでの自己管理を検討します。 独居や経済的問題等でコメディカルの介入が困難な場合には、スマートフォンのビデオ通話機能を利用し、遠隔で看護師見守りで実施するケースもあります。 制度面の知識 ■身体障害者手帳申請:肢体不自由、視覚障害、じん臓機能障害(eGFR20未満)等■自治体ごとの医療福祉費支給制度の利用で、自己負担の費用を軽減できる場合があります。しかし、独居高齢患者等では、申請準備が困難なケースも少なくありません。ケアマネジャーが中心となり、本人の意思に寄り添いながら、主治医や多職種、福祉や行政等の間に立ち、申請援助をすることも重要です。 特定行為研修修了看護師の活躍 秋田県由利本荘市は、全国的にも高齢化率が高く、訪問診療医が少ない地域です。そのような地域において、在宅にかかわる看護師の特定行為研修を進める動きが活発に行なわれています。これは、秋田大学大学院医学系研究科 安藤秀明教授のご協力のもと、訪問診療医が実習を担当し、働きながら地域で特定行為研修を受講できる体制が構築されました。2022年には第1期生として4法人6名の看護師が研修を受けました。 特定行為研修修了者の活動により、医師数が限られた地域であっても、望まれるケアの充足につながります。たとえば、特定の範囲内であれば基礎インスリン量の変更も、医師の指示を待たずに看護師が変更することができます。専門的な医学教育を受けた看護師が訪問することで、地域で、病院に近い質の高い糖尿病療養を実施できる一助になると期待されています。 訪問看護師による遠隔指導 由利本荘市のごてんまり訪問看護ステーションでは、訪問看護師による遠隔指導を行なっています。在宅患者にタブレットを貸与し、SMBG指導や超速効型スケール指導、インスリン注射指導を遠隔で実施しています。高齢になるほどインスリン単位数間違いの危険性が高くなりますが、つど遠隔で指導を実施することで、指導効果は上がり、単位数間違いによる低血糖リスクを予防することができます。 遠隔指導のよさは、通常は入院しなければ困難な強化インスリン療法の指導でも、在宅で実施できることです。指導のために入院となると、筋力や認知力の低下が避けられませんが、それらを防ぐこともできます。何よりも入院費の削減に大きな効果を発揮します。 2023年12月現在は、D to P(Doctor to Patient)による遠隔診療に対する診療報酬算定は要件があるものの認められていますが、N to P(Nurse to Patient)またはD to P with Nについては診療報酬上の評価がありません。しかし、きたるべき超超高齢社会と限界集落の増加に備えてN to Pを実施していかなければならない地域として、このような取り組みを行なっています。 執筆:谷合 久憲  たにあい糖尿病・在宅クリニック院長藤沢 武秀ごてんまり訪問看護ステーション看護師血糖コントロールに係る薬剤投与関連特定行為研修修了者八鍬 紘治日本調剤東北支店在宅医療部薬剤師糖尿病薬物療法履修薬剤師秋田県糖尿病療養指導士長堀 孝子SOMPOケア由利本荘介護支援専門員木村 有紀ごてんまり訪問看護ステーション作業療法士齋藤 瑠衣子たにあい糖尿病・在宅クリニック管理栄養士 編集:株式会社メディカ出版 【参考文献】1)日本老年医学会ほか編著.『高齢者糖尿病診療ガイドライン2023』.東京,南江堂,2023,264p.2)日本老年医学会ほか編著.「高齢者糖尿病の血糖コントロール目標・治療方針」.『高齢者糖尿病診療ガイドライン2023』.東京,南江堂,2023,34.3)週刊日本医事新報  NO.5198 2023

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