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インタビュー
2021年3月30日
2021年3月30日

訪問看護ステーション“一人開業”の必要性、地方分権で基準緩和が争点に

全国訪問ボランティナースの会「キャンナス」の代表、菅原さんには、訪問看護ステーションの一人開業の旗手というイメージもあります。3.11の被災地特例で実現にこぎつけましたが、時間切れで制度化にはいたっていない。“一人開業”の必要性について、菅原さんにお伺いします。 訪問看護ステーションの一人開業 ―訪問看護ステーションの一人開業について、今はどうお考えでしょうか。 菅原: この問題はまだ終わったわけじゃないんです。まだ、火はくすぶっているのはご存知ですか。地方分権に対する地方からの提案で、最低2.5人以上必要となっている人員基準を、都道府県知事の判断で変えられるようにしてほしいというのが出てきました。過疎地の看護師不足は深刻で、1人辞めてしまうと、採用ができなくて、ステーションが維持できなくなります。少ない人数でできるようにしてほしいということです。これは私たちの主張とまったく同じ。令和4年度中に結論を得ることになっていて、期待しています。今回は地方VS厚労省という図式で、私たちは見守るしかないのですが、実現のためならなんでもお手伝いしたいという思いでいます。 ―一人開業に取り組んだきっかけはなんでしょうか? 菅原: 訪問看護が充実すれば、隙間をうめていたキャンナスはなくなるだろうと考えていました。制度の充実が市民の幸せだと。それには、訪問看護ステーションを増やす必要があります。ところが、当初はなかなか増えなかったです。ネックになっていたのが人員配置基準でした。1人辞めるのだけれど、どうしても次がみつからなくて、1.5人になっちゃう。休止しないといけないのかっていうSOSは今もわたしのところにしょっちゅう入ってきます。 どんな商売だって、お客さんが少ない時は1人から始める。ケアマネジャーだって1人から始めて、利用者が増えたときに増員するわけです。それなのに、国家資格をもっている私たちがなんでだめなのって。シンプルなんです。開業する時に、お客さんが1人もいないのに、他の2人分の人件費払って、パソコンも人数分揃えてなんてやっていたら初期投資もかかります。ある程度収益が出るようになったら人を雇います。急に人が辞めてもお客さんを手放さないで、自分で穴埋めして頑張るというのが熱意ある管理者ナースのあるべき姿ではないですか?今は効率化のため大型化がいいという風潮ですが、1人ででもやりたいという意思と能力があれば、それを認めてほしいです。 09年に「開業看護師を育てる会」をキャンナスとは別に立ち上げて、たくさん訪問看護ステーションを増やしていきたいという思いで、「星降るほどの訪問看護ステーションを!」とキャッチフレーズを決めて、シンポジウムを開いて問題提起したり、ロビー活動をしたりとがむしゃらに活動していました。2.5人の基準の根拠はなんですかとずっと聞いてきたのですが、厚労省はずっと説明できていません。民主党政権ができたのが追い風になって、3.11の被災地特例でとして規制緩和が実現した時はやったー!と喜びました。自治体の反発や無理解もあって、特例は3ヵ所で期限がきて、打ち切りになってしまいましたが、1人でも大丈夫という成果を示せたと思っています。 大切なのは「志」(こころざし) 今、訪問看護ステーションもずいぶん増えて、あの頃とは状況が変わってきました。資格があれば、いくらでも仕事があるみたいな時代になって。それで、数ではなくてやはり「志」(こころざし)だと考え直しました。キャッチフレーズも変えて、「星降るほどの訪問看護“志”を!」にしています。 志(こころざし)があって、2.5人以上集まらないなら、自費で1時間1,600円、2,000円という世界ですが、キャンナスとして仲間に入ってもらえるとありがたいなと思います。 ** 訪問ボランティアナースの会 キャンナス代表 菅原 由美 東海大学病院ICUに1年間勤務。その後、企業や保健・非常勤勤務の傍ら3人の子育て。96年ボランティアナースの会「キャンナス」を設立。98年有限会社「ナースケア」設立。2009年「ナースオブザイヤー賞」、「インディペンデント賞」受賞。

インタビュー
2021年3月30日
2021年3月30日

一人開業から正規の訪問看護ステーションへ/第3回 訪問看護の1人開業・立ち上げ

渡部さんは訪問看護ステーション一人開業の後、2014年に現在のぷりけあ訪問看護ステーションを設立されました。第3回は、自費サービスも含めた幅広い支援を行うぷりけあ訪問看護ステーションの運営についてお伺いします。 地域での訪問看護におけるサービス継続のために ―ぷりけあ訪問看護ステーションの立ち上げ経緯について教えてください。 渡部: 被災地特例の一人開業には期限が定められていて、生き残りの道として看護師2.5人以上の正規の訪問看護ステーションで継続するしかありませんでした。利用者さんもいましたので、ほかに選択肢がなかったんです。 ぷりけあ訪問看護ステーションの基本理念は、生まれてきてくれてありがとう、生きていてくれてありがとう、と言い合える社会の追求です。どんな病状であっても、どんな生活環境であっても、今生きているということ自体、その人ががんばって時間を積み重ねてきた証だと思うので…。それは利用者さんも、働く職員同士も同じです。 人にはみんな生きてきた歴史があって、その人をちゃんと理解するところから始めるという考え方を、訪問看護を通して社会に少しでも広めていきたい、という思いを込めて活動しています。特に石巻は震災で大きな被害を受けて、生き続けること自体がすごくしんどい時期をみんなで乗り越えてきた地域なので、お互いに思いやりを持って、自分たちのできることをやり続けていきたいと思っています。 ―地方は看護師が集まりにくいと言われていますが、スタッフはどのようにして集まってきたのでしょうか。 渡部: 訪問看護は未経験のスタッフがほとんどです。外来などでは患者さんと関わっていたけれど、家での生活が気になるとか、病院の外でももっと深く関わりたいという思いがあるスタッフが集まってくれました。現在のスタッフは、看護師6人、作業療法士(OT)が1人、事務1人です。みんな、もう病院勤務には戻れないと言っています(笑)。 一時期、人材紹介会社に頼んでいたこともありましたが、今はいい具合に知り合いからの紹介などが増えてきています。ほかのステーションの所長さんがそういう方法を取っていると聞いて、常に訪問先でも「知り合いに看護師さんいますか?」と聞いたりして、いい人とのつながりを作れるようにしています。こうした種まきのようなことが、少しずつ実を結んできているかもしれませんね。 利用者さんの生き方を支援する訪問看護の自費サービス 渡部: 現在の利用者さんは、訪問件数では介護保険と医療保険は5割ずつくらいです。(2020年12月時点) がん末期の方や特別訪問看護指示書による点滴や褥瘡の処置、看取り、精神科や障がいのある方もいます。今は小児の利用者さんはいませんが、重症心身障害の20代の若い方もいます。 -自費サービスもされているそうですね。どのようなものでしょうか。 渡部: 今の介護保険や医療保険では2時間が上限なので、それ以上の時間が必要な場合には自費のサービスを紹介しています。 家族のレスパイトや旅行、買い物、また普段は療養型病院に入院している方が外出する際の付き添いなど、お金を払ってでも外に出たいという要望にお応えしています。石巻市外からも、地域内の訪問看護ステーションでは対応してくれる人がいなくて、前はボランティアさんにお願いしていたこともあるけれど、今はいないということで依頼を受けています。病気や障がいであきらめていたこともあったけれど、社会との関わりのため、自分がやりたいことのために、一歩を踏み出す…。こうした貴重な場面に立ち会えるのは看護師としての醍醐味だと思います。 こうしたニーズは、地域で利用者さんと長く関わっていれば、必然的に出てくるのではないでしょうか。利用者さん本人、それに家族も丸ごとサポートしようとなると、医療や治療をメインにした訪問だけではなく、利用者さんの人生のどこに看護師として関わるのか、ということが求められてくる気がします。 今はコロナ禍なので自粛していますが、本当はもっとやっていきたいですね。看護師はもっと患者さんと向き合いたいと思っている人も多いはず。看護師にはこんな世界もあるんだよ、こんな寄り添い方があるんだよと知ってもらいたいし、経験してもらいたいです。 提供サービス 病状の観察、悪化予防 血圧・体温・脈拍などのチェックをし、全身状態の把握。異常の早期発見 在宅療養上のケア 身体の清拭、洗髪・入浴介助、食事や排泄などの介助・指導 薬の相談・指導 薬の作用・副作用の説明、飲み方の助言、残薬の確認など 医師の指示による医療処置 点滴、膀胱留置カテーテル、胃瘻、インシュリン注射など 医療機器の管理 在宅酸素、点滴ポンプ、人工呼吸器などの管理 床ずれや皮膚トラブルの予防・処置 ―― 認知症や精神疾患のケア 家族の相談、対応方法に関する助言など ご家族への介護支援・相談 介護方法の助言、不安の相談など 介護予防、リハビリテーション ―― ターミナルケア がん末期や終末期を、ご自宅で過ごせるような支援 保険外自費サービス 長時間の外出や旅行の付き添い、介護家族のレスパイト等 ** ぷりけあ訪問看護ステーション 代表取締役/保健師・看護師 渡部 あかね(わたなべ あかね)旧姓:佐々木 東日本大震災のボランティア活動で、医療者が地域の中に出向いていかなければ気づけ対応できないニーズが非常に多いことを経験。看護師として、本当に困っている人のそばに身を置いて関わっていきたいという思いから、被災地特例で一人開業し、その後2014年にぷりけあ訪問看護ステーションを開業。

インタビュー
2021年3月30日
2021年3月30日

入院中心から地域生活支援への転換

東京の池袋と練馬にある、精神科に特化した訪問看護ステーションKAZOC(カゾック)。「カゾック」とは「家族」のことで、「新しい家族の形になれるように」という願いを込め、さまざまなプロジェクトを展開しています。代表である渡邊乾さんに、日本の精神科医療の課題解消を目指すKAZOCの活動についてお伺いします。 労働組合を通して精神科の世界を知る ―精神科訪問看護ステーションを立ち上げるまでの経緯をお聞かせください。 渡邊: 両親が二人とも精神科病院で作業療法をしていたのですが、楽な仕事だと思って作業療法士になりました。社会人としての心構えがないまま親のツテで精神科病院に就職したので、まったく適合できず、諸先輩方からの指導がかなり厳しかったことを覚えています。 これはパワハラだと思ってすぐに辞めようと思って転職活動をしていて、その中で労働組合の集まりにたまたま行きあたって勧誘をされました。世間知らずだったのでパワハラと闘おうと思って、病院で一人で労働組合を作ったんです。 そしたらすぐに、今考えると当たり前なんですが窓際族になっちゃって、それから5年間くらい仕事が無くなって外来の患者さんとぷらぷらして過ごしていました。  一方で、組合活動の世界ではあれよあれよと出世して、精神科病院の労働組合全国組織の副代表にまでなりました。 労働組合界隈には出世をして有名になった医療関係者がいろいろいて、日本の精神科医療について教えてもらいました。国際的な潮流を見ると、だいぶ前から病院中心から地域で生活を支援する取り組みにチェンジしていて、権利擁護という次のステージにいる。僕は自分の病院がダメなんだとずっと思っていましたが、そうではなく日本の精神医療全体が国際社会から大きく遅れていることがわかってきたんです。 それで、いろいろ計らってもらって、日本でも先進的な取り組みをしていた「浦河べてるの家」や、世界ではじめて精神科病院の全廃に成功したイタリアのトリエステに行ったり…。こうしたものを実際に見ることで、病院の中をどうこうしようではなく、日本の課題である地域資源を増やしたほうがいいと思い始めました。 また2011年に東日本大震災があって、福島の障がい者支援団体に寄付金を届けにいくこともやっていました。原発から20km範囲内の精神科病院が全部なくなり、病院を復活させようという人たちと、地域で支援しようという人たちの二つに分裂するなか、僕は地域支援のほうに参加させてもらって現地の復興していく様を間近で見ていました。 そうした背景もあって2012年に法人を作り、実際に動き出すことになりました。 管理をしない、変容を求めないというコンセプト 渡邊: 当時、付き合いのあった精神科医の森川すいめいさんと、地域資源を作ろうと考えていました。それで、一番いいのはアウトリーチだろうと。僕は作業療法士で訪問看護もできるので、一緒にやってくれる看護師を集めて2013年にKAZOCを開設しました。 日本の精神科医療の課題を解決するものにしたかったので、精神科病院の本質って何なのかと考えたときに、まず「管理」だと思いました。社会から切り離す目的、管理目的で入院させることが多く、入院すると向精神薬が投与される…。これが本人の考えや行動を「変容」させることになります。管理と変容の考え方が地域の中で始まったとき、本人が反発するとその溝がどんどん広がり、問題が複雑化していく。その行きつく先が精神科病院の長期入院なのではないかと仮説を立てて、その手段を僕らは一切放棄しようと決めました。 管理をしない、変容を求めないというコンセプトはそこから生まれました。 ただ、そうすると管理や変容以外の手段をとる必要があり、モデルを探すことになりました。そこで最初に目を付けたのが、「浦河べてるの家」やホームレス支援の「ハウジングファースト」です。 べてるは当事者主体の活動で仲間の原理。コミュニティーとかボリュームにピントを合わせていて、それが訪問看護で単独介入ではなく、チームで複数名訪問のスタイルをとることに繋がっています。また、ハウジングファーストの在宅維持率という物差しは、地域移行や長期入院の解消に転用できるのではないかと考えたんです。 オープンダイアローグはステーションを立ち上げた後、2013年の夏頃に日本に入ってきました。  この3つをモデルに掲げて、べてるで言えばコミュニティー・人間関係、ハウジングファーストでは在宅維持率、オープンダイアローグでは対話と、それぞれの要素を取り込みながら、管理でも変容でもない別の手段を模索してきました。 ―他のステーションではやっていないような、特徴などはありますか。 渡邊: あえて余剰人員を置いているのが、一つ特徴だと思います。僕らの基本的な考え方として、一対一よりも複数名で関わる構造にしたほうが、より治療効果が高いと考えているので。 特定の人が一人訪問するのと、チーム二人で同時に行くのでは、持ち込まれる量も質も変わってくるし、価値観も多様になりますよね。同じ話をしていても捉え方、考え方が違ってくる。そこが対人援助の支援では大事だと思っています。 制度としては、リスクやケア度が高い場合、主治医からの指示で二人で訪問できる加算がありますが、それとは意味が違うし、余剰人員を確保してまでやっている所はあまりないと思います。 また、密な人間関係を作りたいというよりは、多様な価値観の方を重視しているので、固定の担当制ではなく、一人の利用者に3~4人のチームでローテーションするようにしています。そこはこだわっているところですね。 経営的に採算は落ちます。もっと収益性の高い経営もやろうと思えばできますが、立ち上げのコンセプトに従って運営しているので、そこは中身重視で質と量のバランスを僕が調整しています。 それと朝30分、終業前に30分、毎日ルーチンで申し送りをしています(コロナ禍以前は)。事業所によっては直行直帰などで話す時間は限定的になってしまうかもしれませんが、一日のうち一時間くらいは顔を合わせて情報共有、話し合いの時間を作ることを大事にしています。何か起きたときにすぐに話ができる環境を確保するのが目的です。 ** 株式会社Neighborhood Project 代表取締役 訪問看護ステーションKAZOC 作業療法士・精神保健福祉士 渡邊 乾 都内の精神科病院に就職し、日本の精神科医療の現実を知る。その後、浦河べてるの家、イタリア・トリエステの活動を視て地域支援を志す。2013年に精神科訪問看護ステーションKAZOC(かぞっく)を開設。当事者研究、ハウジングファースト、オープンダイアローグなどの先進的な手法を取り入れ、精神疾患を持った人たちの在宅生活を支援している。

コラム
2021年3月30日
2021年3月30日

訪問看護の社長業 ~創業経営者 水谷氏から学んだこと 教育編~

前回までの2回は人事部門の大切なポイントを紹介しましたが、今回は教育・研修部門の考え方、重要性について「社長業」の視点でお話します。  コラム執筆者:一般社団法人訪問看護エデュケーションパーラー/理事長  上原良夫 教育・研修の基本的な考え方 まず大前提の考え方としては、製造業で言うところの「物を仕入れたあとの製品⇒商品への加工作業に値するのが、教育・研修部門」となります。このように教育・研修部門をとらえれば、少しわかりやすいかもしれません。「物を加工する」という工程を、訪問看護業に置き換えればいいわけです。 また、基本方針として「年間メニューの多様化と業界一番の品質作り」を掲げます。 そして細かな方針や定義を列記して、やはり朝礼で読み上げることで、方針を内部に認識、普及・浸透させていきます。 以下、列記したものはその概要です。 ①中核となる医療専門職は3~5年を基準とするが、教育・研修の質・量に自信がもてるところから段階的に3年未満の方や新卒を受け容れていく。もちろん新卒とは報酬に差を設けていく。 ②教育・研修の目的は、志を高くもつ、利他の心を高める。原理原則を守る、人間性(思いやり、熱意、誠意、素直な心)を高める、お客様を幸せにする、自分の幸せも追求する、ことをバックアップすることを根本に置いている。 ③訪問看護未経験でも研修期間内で一定のスキルを習得して実務者に仕上げる。但し、管理者評価が低い場合や周りに評判が低い場合は、専門性不足?常識不足?在宅不向き?メンタルヘルス問題?か、その状況に応じて、再教育、雇用契約変更の調整をする。 ④同行訪問と座学指導も交えて実践に導く。初任者~従事者~中堅~管理者候補~管理者用研修とメニューもフォローも充実させて、現在の安定と将来の成長が実感できるようにする。 ⑤臨床経験スキルは基本的に通用するが、1年間は経営方針書の遵守と先輩指導のもと事例の積み上げである。2年目から各自に見合う量と質を安定させる。3年目でやり方・応用に自信が付き自分流が確立します。1年目は真似て型を守り、2年目は自分のやり方に改善、改良を加える。3年目に現業の確立と新たな領域を開発する、守破離の思想である。 ⑥外部への研修希望は予めの申請を必要とする。1人1回1万円程度は認める。但し1人当たりの参加回数、総額に一定の上限を設けて管理する。 ⑦全職種資格別の専門的は症例検討会、リーダー研修、フォローアップ研修、マネジメント研修等を、会社の成長に応じて段階的に実施する。 ⑧訪問看護ハンドブックを作成して、医療専門職、総合職、事務職で毎年担当を変えてブラッシュアップを継続する。 在宅の小規模事業所では、定期研修の実施や勉強会プログラム貧弱なところが多々あると認識しています。ノウハウや手間が必要で予算もかかりますが、教育体制次第では外部からの技術的信頼を得ることが難しいのはもちろん、向上心の高い内部スタッフにおいても、自己研鑽の場が少ないことというのが不安材料になったり、退職理由に結びつくことさえあります。もちろん採用時においてもこの点が充足しているか、教育研修方針があり機能しているか、といった点が志望動機にもなりますので、ぜひ参考にして頂ければと思います。 ** 一般社団法人訪問看護エデュケーションパーラー理事長  上原良夫 【略歴】 2012年 ソフィアメディ(株)入社。訪問看護事業の営業開発課長・教育研修事業部長・介護事業統括部長・医療連携推進室長を経て、(株)CUCの支援医療法人の訪問診療事務長、在宅事業企画担当。 2020年7月より一般社団法人訪問看護エデュケーションパーラー理事長に就任。訪問看護事業の教育研修企画・ 各種 コンサルティング、業務委託においてアームエイブル(株)ゼネラルマネージャー兼務   【 参考 】 水谷和美著「訪問看護の社長業」

インタビュー
2021年3月23日
2021年3月23日

訪問看護ステーションとボランティアを両輪で。補完し合い各地で多様な事業展開

「志」でつながっているという全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」。今回は各拠点の具体的な事業内容について代表の菅原由美さんにうかがいました。 制度事業とボランティア ―菅原代表のところでは、ボランティアとしてのキャンナスと営利法人での訪問看護ステーションの両方をやっていますね。 菅原: キャンナスをはじめて、しばらくしたら介護保険制度ができることがわかりました。制度の事業をするには、法人格が必要で、選択肢としては非営利のNPO法人もあったので、かなり悩みました。大手企業も続々参入する介護保険事業が非営利と思えなかったので、営利法人を別につくって、訪問介護、訪問看護はそちらで始めることにしました。キャンナスは制度の足りないところを埋めるスキマ産業で、制度が充実していけば、なくなると思っていたんです。キャンナスは1時間1,600円ですが、介護保険だと1割負担で数百円。制度が成熟することが市民の幸せだと。結果的には、この時の選択は正しかったのだと思います。両輪だから補い合うことができます。 各拠点での活動内容 ―各拠点で、どのような活動をなさっているのか詳しく教えていただけませんか? 菅原: 本当にいろいろです。細かなところまでは正直よくわからないのですが、よかったら、昨年10月にこの25年の活動を『ボランティアナースの奇跡』(※1)として出版しましたのでご覧ください。 この中では、8ヵ所の拠点のルポもあって、たとえば、キャンナス世田谷用賀は、もともと訪問看護ステーションがあって、患者さんの「普通の暮らしがしたい」という願いをかなえるために6年後にキャンナスを始めました。 キャンナス名古屋の代表は、ALSの患者さんのシェアハウスをやっていて、会社で訪問看護、訪問介護、居宅介護支援を行い、キャンナスは楽しみや人生の目的の支援と位置付けています。 石川県のキャンナス加賀山中は、訪問看護師として働くかたわら、空き家になった代表の実家を拠点に500円でワンコイン入浴をしていて、そこを地域の高齢者の通いの場にもしています。自分の体調も万全ではないのに、引きこもりの若者を引っ張り出して、林業に世話したりと、ひとり暮らしの高齢者の家に雪かきに行ったり飛びまわっていて、これが原点と頭が下がる思いです。 この本に掲載はされていないですが、北海道では、農協と連携して、家族が農作業をしている間に、お年寄りを集めて預かるという事業をキャンナスとしている代表もいます。 みんな違ってそれでいい 菅原: 医療保険、介護保険で足りない部分をキャンナスで補うかたちで考えている方もいれば、サラリーマン看護師として、空いている時間でやっている方もいて本当にそれぞれです。 本では、各拠点に行ったアンケートも紹介しています。回答してくれたのは、34カ所で、右向け右みたいな統制がとれてないところがキャンナスらしいねと笑いましたが、おおむねこんな感じではと思います。併設事業所がないキャンナスだけをやっているところと、併設事業所があるところがだいたい半分ずつ。 キャンナスをはじめようと思った理由も聞いていますが、「訪問看護ではできない暮らしの手助けがしたい」が一番で、次が、「看護師として地域貢献したい」で、その次が「訪問看護の上乗せ」でした。制度の穴埋めがメインの理由ではなく基本的にはみんなおせっかいなおばさん(笑)。 提供したことのある支援では、「通院以外の外出の付き添い」「通院時の付き添い」が多く、「宿泊付き旅行の付き添い」もいれると長時間になる外出系はニーズがある。次に、「喀痰吸引」で「掃除・洗濯」「食事・洗濯」と続いています。利用料は1時間あたり1,500円から3,000円くらいで、支援内容によって差をつけているところもあります。 地方では、他の訪問看護ステーションで対応できない時間帯の摘便に行ってとか、そういう使われ方をすることもあるようです。 ですが、それが地域の信頼を得ている、ということにもつながっているような気がします。訪問看護ステーション+キャンナスがあることで、補完し合い、地域に活かせると思います。 ** 訪問ボランティアナースの会 キャンナス代表 菅原 由美 東海大学病院ICUに1年間勤務。その後、企業や保健・非常勤勤務の傍ら3人の子育て。96年ボランティアナースの会「キャンナス」を設立。98年有限会社「ナースケア」設立。2009年「ナースオブザイヤー賞」、「インディペンデント賞」受賞。 【参考】 ※1:菅原由美著「ボランティアナースの奇跡」

インタビュー
2021年3月23日
2021年3月23日

被災地特例の一人開業による立ち上げ/第2回 訪問看護の1人開業・立ち上げ

被災地でのボランティア活動で、さまざまな医療ニーズがあることに気づいた渡部さんは、被災地特例の一人開業で訪問看護ステーションを立ち上げました。第2回は、訪問看護ステーションの開業から立ち上げに至るその経緯についてお伺いします。 医療資源が不足する地方の現実 ―一人開業に至るまでの経緯を教えていただけますか。 渡部: 被災地特例として、国から訪問看護ステーションの一人開業許可が出たのですが、市に申請を出したら「訪問看護のニーズはない」と2~3度却下されました。市が言うには、地元の訪問看護ステーションでは利用者さんも亡くなったりして人数が減っているし、経営も厳しい状況だという回答が多かったからだそうです。 でもそれは、震災後に新たに生じているニーズ(家族が亡くなって病院受診や体調管理ができなくなった人、避難所~仮設住宅生活の廃用で全身状態が低下した方、PTSDやうつ病を発症した方、など)を拾えていないと思いました。どんどん取り残されていく人がいることはわかっていたので、3,000人分の署名を集めてあらためて市に申請し、ようやく開業にこぎつけました。 ―具体的にはどのようなニーズがあったのでしょうか。 渡部: 牡鹿半島というエリアは、市の中心部からも遠いので、事業所の採算面を考えると中心部から訪問看護に行けるのは週に1~2回程度。そういう意味で地域的な線引きがあり、受けられる医療資源が限られてしまっていると思いました。がん末期でどんどん病状が変化している方が家で過ごしたいとか、一人暮らしで健康不安がある方とか、認知症が進んでいる方とか…。そういう方のところに、タイムリーに24時間対応で行ける事業所はなかったです。 これは震災前からの課題だったと思いますが、震災の影響でより顕在化したとも言える。たぶん過疎地域などは全国的に同じような課題があると思います。 私としては、地域のためにできることはなんでもしたい、継続的に関わっていきたいと思っていたけれど、ボランティアだと期限があり、いつか終わりになる。それで、キャンナスの代表から「継続的に地域に関わりたいのであれば自立しなさい」と言われていたこともあって、サポートを受けながら開業しました。 「なぜ、一人で?」と聞かれることもありましたが(笑)、一人でやりたかったわけではなく、限られた医療資源の中で私がやれることの一つが、一人開業だったということです。また、一人開業は被災地特例ではあるけれど、地域のために継続的に活動することが、これからの社会に一石を投じることになるかもしれないと思ったんです。 訪問看護未経験からのスタート ―開業にあたり、キャンナスからはどのようなサポートがありましたか。 渡部: 当時の私は訪問看護の経験がなかったので、全国に拠点があるキャンナスのネットワークを活かして、埼玉の訪問看護ステーションで研修をさせてもらいました。わからないことはすぐに聞けるなど、技術的な部分が一番サポートしていただいたところです。事務的なところでは、開業にあたっての書類なども、ひな型をシェアしてもらうなどサポートしていただきました。 ―利用者さんはどのような経緯で受け持つことになったのでしょうか。 渡部: 最初は、キャンナスの時からつながりのあった先生から紹介していただきました。そのほか、牡鹿半島に行く訪問看護ステーションがあまりなかったので、地域包括支援センターからの依頼や、避難所のときからつながりがある方もいらっしゃいました。 当時は一人で8~9人くらいを受け持っていて、月にMAXで80件くらい訪問に出ていたこともあります。在宅酸素を付けている方やうつ病の方、がん末期のお看取りの方もいました。避難所のボランティアは24時間体制だったからか、それに比べれば物足りなかったぐらい。独身で若かったですし、エネルギーがあり余っている感じでしたね(笑)。 ただ、被災地特例の制度では、難病の方や医療保険の方は看られないなどの制限があったので、その部分は介護保険の枠や、キャンナスの制度外の自費サービスである有償ボランティアとしてやっていました。 看護師の人数が増えると、マネジメント的な要素も加わってきますが、一人だと純粋に看護に集中できるし、利用者さんとの関係性を大事にすることができて、すごく楽しかったです。 ** ぷりけあ訪問看護ステーション 代表取締役/保健師・看護師 渡部 あかね(わたなべ あかね)旧姓:佐々木 東日本大震災のボランティア活動で、医療者が地域の中に出向いていかなければ気づけ対応できないニーズが非常に多いことを経験。看護師として、本当に困っている人のそばに身を置いて関わっていきたいという思いから、被災地特例で一人開業し、その後2014年にぷりけあ訪問看護ステーションを開業。

インタビュー
2021年3月23日
2021年3月23日

管理者インタビューMy Care Style vol.1

管理者インタビュー『My Care Style 』第1回目は、訪問看護ステーションリカバリー看護師の柴山様にお話をうかがいます。 スタッフに対しても、利用者さんに対しても、相手の視点で考えることを大切にしています。 訪問看護ステーションリカバリー 看護師・柴山 宜也(しばやま よしなり) 消化器急性期病棟で3年、老健やデイサービスで1年働いた後に、訪問看護未経験で現在のステーションに入社し、7年目になります。身内の不幸をきっかけに看護師を目指し、初めは看護技術を習得するために、急性期を極めようと大学病院に勤務しました。しかし、「そもそも倒れないような関わりが必要なのでは?」と思うようになったことで高齢者医療や予防医療に興味を持ち、「倒れても対応できる看護師から、倒れないように対応できる看護師へ」と考え方が変わりました。 休日は、今は家族と過ごすことが多いですが、以前は勉強会に積極的に参加して他のステーションの管理者や責任者、その他医療介護業界の方と交流をしていて、それが今の新宿医介塾の運営につながっています。 Q ステーション運営で心がけていることは? 相手の立場に立って考えることが大事だと、過去の経験から痛感しています。 初めて管理者になったときはとても意気込んでいて、新人が少しでも早く一人前になれるように情熱を注いだ結果、逆効果になったことがありました。新人に対して1から10まで教えて、完璧を求めてしまったために、パンクしてしまったのです…とても反省しています。 今は、新人の気持ちや、本人が受け入られるキャパシティを見極めた上で、話し合いながら育成するようにしています。 新人教育は、基本的にはOJTがメインで、現場チューター制度をとり、担当をつけつつチームで教育を行っています。管理者は全体の教育を考える立場ですが、新人と年齢が離れていることで話しづらい時もあり、気軽に相談できるチューターが中心になって進めています。 新人には3ヵ月同行しますが、みなさん優秀で、3ヵ月経つと8割以上は一人前になります。あとは、その中で見ていない疾患に同行したり、契約を覚えてもらったりで、おおよそ一年で大体の業務は対応できるようになります。 管理者以外のスタッフにも契約を覚えてもらい、重要事項説明をしてもらうのは、お金の管理も含めて、「訪問看護の対価はどのくらいか=自分の価値を知る」を理解してもらいたいからです。 リハビリ職など他の職種とのコミュニケーションについても、相手がどう考えるかを常に気をつけています。 看護師には看護師なりの考えがあり、リハビリにはリハビリの考え方があり、利用者さんにとってはどちらも大切な専門職です。双方の異なる価値観を尊重することが、お互いの知識と経験を養い、成長につながり、結果的には利用者さんにより良いが提供できると思います。 しかし、看護職はリハビリ職を「大切なパートナー」と考える人もいれば、残念ながら「下級医療職」と見下してしまう人もいます。また、リハビリ職は「看護師は忙しそう、話しづらい」と考える人もいます。 そういった垣根を壊すような運営方針、取り組みを行っています。 またマネジメントについては、もちろん社内の人にも相談はしますが、個人的に参加していた勉強会で社外の管理者などと知り合うことができ、社外にも相談できるネットワークができたのは財産です。 Q 利用者さんに対して心がけていることは? 大きくは二つあります。 一つは、会社理念でもある「もう一人の家族」の視点で関わること。 「利用者さんが自分の両親、親族だったら何をしてあげたいか」「もし利用者さんの家族に医療者がいたら、どんな相談をしたいか」を親身になって考えるようにしています。 もう一つは、思い込まないこと。主訴の裏には大きな異変が隠れていることもあります。 家族から「朝、寝室から起きてきて、リビングでくつろいでいたけど、リビングで寝たまま起きないんです」と相談されたことがあります。糖尿病のある方だったので低血糖も疑って訪問してみると、脳梗塞を発症していて除脳硬直状態、すぐに救急搬送になりました。 病院と在宅では、いくつか違いがあります。 病院では患者さんが病院に治療を受けに来ますが、在宅では利用者さんの療養している家に私たちが入ります。看護師は、病院ではホームですが、在宅だとアウェイです。そのため、アウェイでは利用者さんとの信頼関係がものすごく重要で、知識・技術以上に人間性、コミュニケーション力が求められると思います。 また病院では、一人の患者さんにじっくり向き合うことが難しいのが現状ですが、在宅では利用者さんとの決まった時間が確保されています。その時間の中で、精一杯利用者さんに向き合うことで、信頼関係が構築できた時はとてもうれしいですね。 病院では「看護師さん」や「リハビリの先生」と呼ばれますが、訪問看護では名前で呼んでくれる利用者さんが多いです。それは人として向き合ったことで、看護師個人として評価・信頼してもらっている証だと思っています。 Q 未経験の方にメッセージをお願いします。 「訪問看護をやりたい!」と思っていても、学校の先生や、病院の先輩から「まだ早い」とか「色々な科を経験してからじゃないと」とか、いろいろ言われる業界ですので、ハードルが高く感じる方もたくさんいると思います でも一番大事なのは、訪問看護に対して興味があることではないでしょうか。目の前の患者さん、利用者さんとがむしゃらに関わることができる人であれば、臨床経験の長さはあまり問題にならないと思います。 ITが普及している昨今であれば、訪問時に困ってもすぐに先輩に相談できますし、教育体制がしっかり整っているステーションもあります。実際、私たちのステーションも未経験者ばかりですが、みなさん楽しそうに訪問しています。 「できるか、できないか」ではなく、「やってみたい」という前向きな気持ちが何よりも大切です。ぜひチャレンジしてみてください! ** 会社名:Recovery International株式会社 ステーション名:訪問看護ステーションリカバリー 併設サービス:訪問マッサージ 所在地:東京都新宿区西新宿6-16-12第一丸善ビル6階 最寄り駅:都営大江戸線西新宿5丁目駅 ■職場環境 スタッフ数:看護師10名、セラピスト10名 年齢層:23~40歳。平均年齢32歳 訪問エリア:主に新宿と渋谷方面 移動手段:基本は電動自転車。悪天候時は公共交通機関を使用 周辺環境:都庁や新宿中央公園があり、都会の中でも緑が多い。オフィス街と住宅街があり、周囲には飲食店も多く環境は良い。 オンコール対応:東京では希望性のため月1回から。希望した場合や指導する立場の看護師は月8回程度。実際には平均月10回程度で、半年以上オンコールに呼ばれない看護師も多くいる。電話は1日1~2回で、18~22時にかかってくる電話が7割以上、深夜は月に5回未満 ■利用者層 疾患の傾向:ご利用者さんを重症度などで選定していないため、要介護5から要支援1まで請け負っており、さまざまな疾患がある。ALSやパーキンソン病などの難病の方、癌末期の方、糖尿病や慢性腎不全や心不全を抱えている方など 保険別の割合:季節にもよるが、介護保険が7~8割、医療保険が2~3割程度

コラム
2021年3月23日
2021年3月23日

訪問看護の社長業~創業経営者 水谷氏から学んだこと 採用編~

前回のコラムで、人事部門の大事なポイントを紹介しましたが、引き続き今回は採用面で影響を受けた内容をまとめてみました。ご参考にして頂ければと思います。 コラム執筆者:一般社団法人訪問看護エデュケーションパーラー/理事長  上原良夫 採用で重視するポイント 求職者の能力のなかで、特に重視するのがコミュニケーション能力です。 ①相手の言っていることが理解できる。 ②相手の感情が理解できる。 ③会話のテンポと展開によどみがない。 ④自分が話をしているときに、相手の考えを掴んでいる。 ⑤運の良い人生を語れる。 採用は即決の場合もありますが、基本的に1週間程度の余裕をもって返答をしています。雇用契約は採用前に必ず交わし、配置、報酬、休暇、研修、OJT計画など入社後のトラブルを回避し、メンタルヘルス問題に関する混乱も、可能な限り入社前に対処します。 売上・利益への影響が大きいのは、予期しない退職が出る場合の交替人事であり、特に紹介会社社を使う場合です。可能な限り2か月以上前に把握して、お客様や社内外に迷惑のかからないよう雇用契約の遵守を毅然と促します。 評価、契約更新は社長、上長者が行い意思の疎通を良好にすること、そして社内を見渡して問題を抱えるスタッフの把握にも腐心すると、無駄な出費を減らすことができます。 採用時の優先順位は専門性の高さと経験度数を重視しながらも、心根が良く、気配りができ、人間関係を大事にできる人柄を重視します。 年俸制社員と回数制社員(訪問回数により給与が変動する歩合制)は、50:50のバランスが一番生産性が高く質が担保できると思います。しかし年俸制社員比率が高くても質と労働生産性の保証にはならないため、経営方針書を説明して綿密なコントロールを大事にします。 人材を人財などと呼んで表面的に人事を見栄え良くする組織もありますが、社員の本質は、給料と休みが平均以上に高く、教育研修投資を怠らない会社でロイヤリティを発揮する。そして自信と誇りを持てる、明るい将来が描かれているか、が大事です。 以下は、採用時の判断基準をまとめたものです。 以上、医療・介護業界の現場を知り尽くしたソフィアメディ(株)創業経営者水谷氏による、人事部門の重要ポイントでした。実践実学より築き上げた哲学が散りばめられていると思います。ご参考になれば幸いです。 ** 一般社団法人訪問看護エデュケーションパーラー理事長  上原良夫 【略歴】 2012年 ソフィアメディ(株)入社。訪問看護事業の営業開発課長・教育研修事業部長・介護事業統括部長・医療連携推進室長を経て、(株)CUCの支援医療法人の訪問診療事務長、在宅事業企画担当。 2020年7月より一般社団法人訪問看護エデュケーションパーラー理事長に就任。訪問看護事業の教育研修企画・ 各種 コンサルティング、業務委託においてアームエイブル(株)ゼネラルマネージャー兼務 【 参考 】 水谷和美著「訪問看護の社長業」

インタビュー
2021年3月16日
2021年3月16日

ボランティアナース〜ナースの力はもっと地域に活かせる〜

全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」は、1997年の立ち上げから25年たって、全国に136ヵ所の拠点があります(2020年9月末現在)。ボランティアとして、制度にとらわれない支援ができるのが特徴です。訪問看護ステーションと組み合わせて事業化している拠点もあります。今も活動したいという看護師は後を絶たないといいます。キャンナスの魅力について、発起人であり、現在も代表を務める菅原由美さんにお尋ねします。 ボランティアナースとは? ―キャンナスの理念を教えてください。 困った時はお互い様、地域のためにできることをできる範囲でしようというところから始まっています。キャンナスのキャンナスは、英語の「できる」(キャン)と看護師(ナース)の造語で、「できることをできる範囲で」という意味です。 ボランタリーな精神で無理はしない。そこが25年前も今も変わらない基本的な部分です。 ―キャンナスの立ち上げ時のお話を聞かせてください。 菅原: 97年に住まいのある藤沢で最初のキャンナスを立ち上げた時は、まだ、介護保険制度もなくて、訪問介護事業所も訪問看護ステーションも身近にはりませんでした。家族や休めるようにレスパイトケアや、家での看取りのお手伝いというところから始まって、どこかに遊びに行きたいといった最後の夢をかなえる、保険内ではかなわないその方の生き方をサポートしているような支援も行っています。 私も、仲間も基本的に「おせっかいなおばさん」で、まず体が動いちゃう。だから、何かできることがあるのではいかと被災地にも飛んでいってしまうわけです。 3.11東日本大震災では、避難所に泊まり込んでお手伝いさせてもらいました。あれから、大きな自然災害が続いて、被災地支援に積極的に取り組んでいたので、被災地支援ボランティア団体みたいなイメージをもたれている方もいるようですが、地域での助け合い活動がメインです。 潜在看護師の活躍の場 ―潜在看護師に出てきてほしい、そんな思いがあったのでしょうか。 菅原: 立ち上げた時には、潜在看護師の掘り起こしという思いも強くありました。 私もその一人で、資格を取った後は、病棟に10ヵ月勤務して結婚退職。看護師としては保健所のパートみたいなことしかしてこなかったです。 子育てで仕事を離れていて復職したいけれど病院はちょっとハードルが高い、という人はゴロゴロいました。私でも家族の看取りができたのだから、サンダル履きで行ける範囲で、空いている時間で活動してくれれば、喜んでくれる利用者がいるから出てきてほしい、そんな思いです。ボランティアといっても、無償ではなくて有償。そのほうが出てきてもらいやすいから。 キャンナスの活動にかかわりたいという方からは、SNSやホームページを通じて、毎日のように連絡があります。 ―自分もやりたい、そう思ったらどうすればよいですか? 菅原: 活動に興味があるという方から連絡があった場合、今は全国に拠点があるので、近くの拠点を紹介しています。拠点というと、フランチャイズのような組織で、それだけ増えれば、本部が儲かって儲かって困るんじゃないのと言われたりすることもあるのですけど、本部は何ももらっていません。 拠点の発会式は私が参加する決まりがあって、全部行きましたが交通費は持ち出し。結構な出費ですけれど、楽しいからいいか、と。やりたいと言って手をあげてくださった方とはお話しして、同じ思いを共有できるかは私が確認していますが、事業は、それぞれ自己決定、自己責任。みんな違っていいと思っていますから。 組織ではなく、「志」(こころざし)でつながっているネットワークと考えてもらったほうが良いと思います 訪問ボランティアナースの会 キャンナス代表 菅原 由美 東海大学病院ICUに1年間勤務。その後、企業や保健・非常勤勤務の傍ら3人の子育て。96年ボランティアナースの会「キャンナス」を設立。98年有限会社「ナースケア」設立。2009年「ナースオブザイヤー賞」、「インディペンデント賞」受賞。

インタビュー
2021年3月16日
2021年3月16日

被災地でのボランティア活動/第1回 訪問看護の1人開業・立ち上げ

  東日本大震災の被災地特例で訪問看護の一人開業が認められ、ボランティア活動の傍ら開業に踏み切った渡部あかねさん。その後、自費サービスを含めたぷりけあ訪問看護ステーションを設立し、地域の中で安心して暮らしていけるお手伝いをしています。第1回は、訪問看護の開業、立ち上げをするきっかけとなった被災地のボランティア活動についてお話を伺いました。 東日本大震災をきっかけに留学先から帰国 ―まず、渡部さんのご経歴からお聞きしたいと思います。 渡部: 私の母は、保育士として障がい者施設や病院などで働いていました。母の職場に遊びに行ったりもしていたので、子どものころから障がいのある方や病気を抱えている方は身近な存在でしたね。そのせいか、人の役に立つことをやりたいと漠然と思っていて、結局、福祉や医療の現場に幅広く携われる看護師の道を選びました。 大学は栃木県の自治医科大学です。地域医療に力を入れていて、看護学部でもへき地医療・地域医療についていろいろ学びました。夏休みにはへき地の診療所での現場研修もあり、いろいろな分野を幅広く勉強をしなければいけないと、学生ながらに感じていましたね。 卒業後は、東京都の虎の門病院で2年間、消化器内科と脳神経内科、整形外科などがある混合病棟で働きました。私の場合、震災がきっかけで訪問看護に興味を持ったので、当時は訪問看護をやろうとは思っていませんでした。 でも分刻みで進む業務の中、思うようにはいかないこともたくさんあって、フラストレーションが溜まった結果、半ば強引に病院を辞めて、オーストラリアに留学することにしました。 当時のオーストラリアには看護師留学というプログラムがあって、日本の看護師免許があると、語学などの研修を受けた後、看護助手として働くことができました。 医療通訳なども興味があったし、いろいろやりたいなと思っていました。たぶん東日本大震災がなければ、オーストラリアで全然違う人生を送っていたと思います。 ―東日本大震災は、どのようなタイミングで起きたのでしょうか。 渡部: オーストラリアに行って一年ほど経ったころですね。 日本全体が本当に大変な中、私はテレビでその光景を見ていることしかできない…。今の自分が身を置くべき場所、やれることは何かを考え直した結果、一度日本に帰る方がいいのではないかという結論に至って。地元の宮城に戻ったのは震災の年の5月のことでした。 ただ、災害現場で看護活動をするには専門的トレーニングが必要な場合が多く、最初は普通に泥かきボランティアなどをしていました。 看護師の資格を活かしキャンナスでのボランティア活動 そんな時、ネットで見つけたのが被災地支援も行っている訪問ボランティアナースの会「キャンナス」(※)の活動です。 ※キャンナス(CANNUS) 電話をかけたら、「とりあえず気仙沼に行けますか」と言われて、一週間くらいの単位で各避難所を回りました。初めてだったので、どこにニーズがあるかもわからないし、日々必要になるもの、困りごとも変わっていく状況で、最初は驚きました。情報を一つでも多く拾ってくる、自分の判断に委ねられることが多い活動だったと思います。 とりあえず避難生活をしている方に「体調はどうですか」と声をかけたり、血圧を測ったりしながら巡回していました。それ以外にも、生活環境を整えるために掃除をするなど、医療ニーズに限らず、生活全般のニーズを拾うことを大事にしていました。 今思うと当時の私は、看護師2年間の経験しかなかったので、全然スキルが足りないことも多かったです。そんな私でも「看護師です」と言うと、相手がすごく安心したような表情をしたり、胸の内を明かしてくれたりと、それがとても印象的な体験でしたね。 病院の外でもこんなに医療や看護が求められているんだと肌で感じました。 ―その後、気仙沼から石巻に移られたんですね。 渡部: 石巻で長期間活動できる人を探していて、私が行くことになりました。 避難所にいる方だけではなく、一階は津波の被害を受けているけれど二階で生活をしているような方も混在していました。避難所に比べると、在宅の方の情報が集まりにくいこともあり、保健師さんと手分けをして、被災の程度がどのくらいなのか、どのような方が暮らしているのか、医療や介護が必要ではないか、などのアセスメントもしていました。 こうした活動は、最初はすべてボランティアでしたが、中長期的な必要性と、行政がイニシアティブをとるというかたちで途中から石巻市の委託事業になりました。それで、一般社団法人キャンナス東北という法人となり、震災の年の10月くらいからはその活動にシフトしました。牡鹿半島というエリアの仮設住宅のアセスメントと、コミュニティーの再形成を支援するための健康相談会の企画運営を任されていました。 ボランティア活動では、医療の知識を伝えつつ、橋渡しをするというコーディネーター的な役割を求められることが多かったです。生活環境を整える、その人が心地よく生きられる環境を整える活動に、看護師として全般的に関われたことは、今の訪問看護の仕事でも役立っています。 ぷりけあ訪問看護ステーション 代表取締役/保健師・看護師 渡部 あかね(わたなべ あかね)旧姓:佐々木 東日本大震災のボランティア活動で、医療者が地域の中に出向いていかなければ気づけ対応できないニーズが非常に多いことを経験。看護師として、本当に困っている人のそばに身を置いて関わっていきたいという思いから、被災地特例で一人開業し、その後2014年にぷりけあ訪問看護ステーションを開業。

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