みんなの訪問看護アワード2023

心に残る利用者さんのエピソード【つたえたい訪問看護の話】
心に残る利用者さんのエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2024年11月5日
2024年11月5日

心に残る利用者さんのエピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護をしていると、いろいろな利用者さんとの出会いと別れがあります。「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードから、いつまでも私の胸に残る思い出深いエピソードを5つご紹介します。 「ミラクルな1日」 利用者さんにとって、心の中に溜めていた周囲への感謝や喜びが溢れでた1日だったのかもしれません。 27歳訪問看護師3年目、看護師になって7年目。看護学生時代の担任の先生が訪問看護ステーションを始められ、一緒に働いている。いろんな利用者さんに出会ってきた。その中でも印象深い利用者さんがいる。誤嚥性肺炎で余命1ヵ月と言われ、在宅へ帰ってきた。物腰柔らかな奥様としっかり者の娘様が手厚く介護されていた。在宅で療養中も誤嚥性肺炎を何度も起こし、そのたびに補液や抗生剤を使用し回復されていた。自営で仕事一筋で過ごされ、とっても頑固。家族やスタッフにも感謝の言葉はあまりなく、いつも「悪態」をついて怒鳴っていた。段々と具合が悪くなっていき、ある日とてもミラクルなことが起きた。目がキラキラと輝き、家族やスタッフにたくさんのありがとうを言い、嬉しそうにたくさん笑っていた。余命1ヵ月と言われながらも7ヵ月頑張って過ごされ、その日の夜に家族に見守られ亡くなられた。「ミラクルな1日でした」と言った家族の顔と、ご本人の輝いた瞳が忘れられない。 2023年1月投稿 「訪問看護の中の密かな楽しみ」 お互いを想う気持ちや二人で物語を楽しむ一時が伝わってくるエピソードです。 もう亡くなってしまったけれど、忘れられない人がいます。私より一回りほど年上の女性。難病で声を失った彼女は日中いつも一人で、帰るときは決まって寂しそうでした。楽しめることはないかと、訪問の終わりの僅かな時間に、彼女の好きな本を読むことにしました。1ヵ月かけて好きな作者を知り、ご家族に手持ちの本を幾つか用意していただき、半年以上かけて一冊読み終えました。週2回の訪問なので前回の話を忘れていたりして、行きつ戻りつでした。私は彼女に楽しんで欲しくて、時々リアクションを入れたり感想を述べたり。彼女はいつも笑って応えてくださいました。読み切った後本を選んだ理由を尋ねると、私が好きそうだったからと。楽しんでもらうつもりが、楽しませてもらっていました。10年以上も前の話ですが、彼女の笑顔は今も鮮明に覚えています。サービス提供者も沢山のものをいただいていることを深く心に刻むことができた大切な思い出です。 2023年2月投稿 「笑顔がみられますように」 コミュニケーションを工夫していった結果、利用者さんからの意思表示が生まれ、最後には意思疎通ができたのかもしれません。不満話に笑顔を見せる利用者さんが印象的です。 50代、くも膜下出血の後遺症から遷延性意識障害になったYさん。ご主人が日中お仕事に行かれるお昼間に排泄援助と胃ろうから栄養剤を注入するため、週3回訪問を担当。意思表示もなくコミュ二ケーションもとれません。そこで、快の刺激でコミュニケーションがとれないかなあと考えました。足裏には全身のツボがあることから、注入食の前に足裏とふくらはぎのマッサージをしました。数ヵ月たったころに、何となく目が合うような感じがありました。その日は何の気なく、私の主人の不満をYさんのご主人と重ね合わせて話しかけました。すると口をいがめて声をあげて笑うんです。一瞬、え!とびっくりしました。笑うのは、なぜかご主人の不満話なんですが、通じるものなんだと思いました。残念ながら再びシャント不全を起こしてしまい入院されましたがしばらくは笑顔を見せてもらえて私の訪問看護の中では忘れることがない出来事です。 2023年2月投稿 「認知症のおばあさんが放った言葉」 人の言葉には考え方や捉え方を変容させる力があることを認識するエピソードです。 理学療法士として訪問していた認知症のおばあさんとのお話です。その方は認知症で記憶力が低下しており、有料老人ホームに入居されていました。約2年間一緒にリハビリをしてきましたが、私の顔と名前を覚えられていないご様子でした。ですが、私のユニフォーム姿を見て「リハビリの人」という認識はできていたと思います。とても明るく、お話し好きでもあり、ときには私が悩み相談をしていることもありました。そんな中、自分の転機により退職することとなり、最後の日にお別れの挨拶をすると悲しそうな顔をされていました。ですが、「私は何でもすぐに忘れてしまうから悲しいのもきっと今だけ。そう思うともの忘れも悪くないなあ。」と返ってきました。この返答には大変驚き、身体がビビッとなったのを覚えています。この出来事以降、「認知症の方」に対する考え方や関わり方が私の中で大きく変わったように思います。これからも私の忘れられない一場面です。 2023年2月投稿 「訪問看護だからこそ」 利用者さんを看護師が観察するように、利用者さんも看護師をしっかりと見ています。だからこそ利用者さんから発せられた言葉だったのだと思うエピソードです。 病棟勤務から訪問看護に異動した私にとってSさんは病棟時代から関わっていた患者さんだった。訪問看護に異動してすぐにSさんの初回訪問から携わった。異動して不慣れな私の成長を見守っててくれていた。ある日Sさんが「やっと前の◯◯さんに戻ってきたね、病棟のころにいた時と近くなってきた」と言った。肩に力が入っていた私を心配していた、と言ってくれた。思わず涙してしまった時、Sさんから「◯◯さんの良さは訪問看護だからこそ伸びるんだと思う。時間に、患者に追われ過ぎてた◯◯さんよりずっと今の方が楽しそうだよ。自信を持って続けたらいいと思うよ」と笑って言ってくれた。元々准看護師だった私が、正看護師合格とともにずっとやりたかった訪問看護に異動願いを出し、念願叶って訪問看護師になれたものの一つも看護師としての自信がなかった私にとって、Sさんの言霊がとても胸に響いた。悲しいことにSさんは昨年逝去してしまったが、これからも続くであろう訪問看護人生で絶対にSさんのことは忘れない。訪問看護ならではの利用者さんとの一対一の関わりを大事に、ずっとやりたかった訪問看護を続けていきたい。 2023年2月投稿 思い出は糧となる 人との出会いは、自分にとって一生の宝物になることも。自分を変えるきっかけや学びになるような出会いを積み重ねながら、思い出とともに今日もまた訪問看護に携わっていくのでしょう。改めて自分の中にあるたくさんの人とのつながりを思い返す、そんなエピソードでしたね。 編集: 合同会社ヘルメースイラスト: 藤井 昌子

理想の看護&目標エピソード【つたえたい訪問看護の話】
理想の看護&目標エピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2024年9月17日
2024年9月17日

理想の看護&目標エピソード【つたえたい訪問看護の話】

看護師としての目標は勤め先や関わる仕事内容によっても変わってきますが、皆さんはどのような目標を設けていますか?「みんなの訪問看護アワード2023」から、「どういう看護師で在りたいか」「どういう看護を届けたいのか」という目標を定め、それを体現しようとしているエピソードを5つご紹介します。 「60点からのBCPスタート!」 策定まで試行錯誤が必要なBCP(業務継続計画)。定めた目標を段階的に評価して達成していくことの重要性を感じられるエピソードです。  「当事者のようで当事者でない」兵庫県西宮市出身の私は、阪神淡路大震災の時は千葉におり、東日本大震災の時は西宮に戻っていたので、まだ大きな揺れを経験したことがありません。自分ごとにできない弱みから、災害対策マニュアルの作成にも本腰が入らず、台風や停電の時も「大丈夫だろう」と正常性バイアスにまんまとハマってしまう日々でした。そんな私がBCP策定に着手できたのは、この当事者意識の薄さを乗り越えたい自身への挑戦でもありました。訪問看護サミットの視聴も大きなきっかけとなり、BCP策定を通して「出逢うべくして繋がった」多くの方たちの後押しが原動力となりました。BCPはやればやるほどその壮大さに圧倒されます。最初に自機関のBCPができた時には、「計画だもの。満点を目指さなくて良いんだ。60点からのBCPスタート!」と言い聞かせました。コレは、訪問看護の利用者の意思決定支援における、ゼロかヒャクかで決められない人の人生の支え方に通じます。利用者を支えている訪問看護スタッフを支える管理者の仕事として、BCPを自分ごとに昇華していけるよう挑み続けたいと思います。 2023年1月投稿 「訪問看護の力」 利用者さんにとっては入院生活と自宅生活は精神的に大きな違いがあり、訪問看護師として在宅生活の支援に注力したいという目標に共感できるエピソードです。 これまで回復期リハビリテーション病棟や地域包括ケア病棟で勤務し、さまざまな理由で自宅退院を諦める方を見てきました。昨年8月に訪問看護師となり、これまでできないことばかりに注目し自宅に帰れない理由を探していたのではと思いました。病棟勤務の時に入院されていた方に訪問する機会があり、自宅で生き生きと暮らす姿に感動しました。認知症のため離床センサーをつけていた方にお会いした時は、目の輝きに驚きました。病棟では自由が制限され、固い表情だったのだと思います。その方が体調を崩し医師から入院を強くすすめられた時、絶対に入院しないと譲らず、点滴と体調管理のために連日訪問することになりました。入院せずに普段の生活に戻ることができた時、訪問看護の力を強く感じました。この経験を生かし、患者の「家にいたい」と願う気持ちに寄り添える看護師として成長していきたいです。 2023年1月投稿 「取り憑かれている私」 利用者さんの人生や生き様が、訪問看護師としての人生の目標や生き方を決めるきっかけになったエピソードです。 私には、勝手に「魂の言葉」と名づけ、取り憑かれているある利用者さんの言葉がある。私が30代前半で訪問看護ステーションに配属になり、1人立ちという単独訪問ができるようになったころ、神経難病の方のお宅へ訪問していた。その方は社会的地位も高く、知的で穏やかで若輩者の私にも丁寧に接してくれ、私の声がけのリハビリも一生懸命行ってくれた。進行の予防に取り組みながら、病気についても調べ、最新治療の情報を集めたりと積極的に向きあっていた。排泄が上手にできなくなり処置が必要になったころ、その方は「治療は諦めたけど、生きるのは諦めない」という言葉を言った。その方は、程なく入院し胃ろうを造設、気管切開をし、亡くなった。訃報を聞いたその時は、最後まで生きることに真剣に向き合った、「生きることを諦めなかった」結果だと思った。十数年たった今、「生きることを諦めない」とは、自分を知り、生きるということに向き合い、自分の意思で生き方を決めることだということがわかる。私は「魂の言葉が聞きたい」という思いで今も訪問看護に就いている。 2023年1月投稿 「生きた看護が生まれる場所」 看護師としてどういうスタンスで看護を行うか。目標や心がけは接遇や所作に表れます。そのことを明確に体現されているエピソードです。 在宅で療養する患者さん、介護をされている家族が安心して過ごせるように手助けをするのが訪問看護師の役割だと思う。そんな私が訪問時に心がけていることは特別なことをし過ぎないことである。医師からの指示や、複雑で家族ができないような処置をしているときは私の看護は始まっていない。家族に「私にもできそう」と思ってもらえるケアができたときが看護の始まりである。例えば、痰がうまく出せない患者さんには横向きになってもらい背中を擦る。呼吸が楽になるようにストレッチをして体の緊張ほぐす。この時にゆっくりと丁寧な所作で行う。なにをしていたか分からないような複雑な動きはしない。ケアを見ていた家族が「あれをしたら気持ちよさそう、楽になりそう」と思ってもらえたらケアは成功だ。ケアをやってみようと思ってくれる家族が増える。私がいない時間でも私の看護が生き続ける。そんなやさしい手が増えますようにと思い、日々訪問している。 2023年2月投稿 「看護師のゆらぎ」 目標を掲げることは、利用者さんに対してだけではなく、職場内のスタッフにも好影響を及ぼすことがわかるエピソードです。 一次病院から経験8年目にして在宅に飛び込んできた看護師。医師が側にいない、検査がすぐにできない環境で一人で訪問すること、検査ができない中でのアセスメント、すぐに苦痛の緩和ができない。アセスメント能力、コミュニケーション能力も今までよりも必要になると痛感し自信も崩れ看護師である自分に対して「今までの自分がクソだった」と泣きながら話すこともあった。個別面談や毎朝チームでのミーティングも行ったり泣きながら、笑いながら日々奮闘している。最近はチームに向けた勉強会を開催したいと自ら発信し実施した。ほかのスタッフ達も入職して一年は特に「目の前の人と向き合うことは自分自身と向き合う、自分自身を知る一年だった」と話していた。彼女自身のスキルアップと同時に彼女自身が自分と向き合えるようチームでこれからも伴走していきたい。そして在宅未経験な看護師達が地域に飛びこめる環境を整えていきたい。 2023年2月投稿 目標は成長につながる 「なぜ看護師という職業に就いたのか?」ということを振り返るきっかけになりそうなエピソードばかりでした。「仕事=賃金をもらうための対価」としてだけ捉えると、ルーティンワークになりがちですが、仕事はひとつの自己表現ともいわれています。時間をかけてやるからには「自分が成したいこと」を見つけ、目標として目指していきたいものですね。編集: 合同会社ヘルメースイラスト: 藤井 昌子

最期・お看取りエピソード
最期・お看取りエピソード
特集
2024年2月27日
2024年2月27日

最期・お看取りエピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護では利用者さんの最期に関わることも数多くあります。「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードから、利用者さんやご家族の最期の希望に寄り添い支援した感慨深いエピソードを5つご紹介します。 「残された時間を一緒に」 最期を看取るという利用者さんの奥様の強い覚悟を受け止めて、無事支援しきったエピソードです。 残された時間がない療養者の在宅療養を受けることを伝え、在宅医に了承してもらった。医師は「明日帰れないかもしれない、ギリギリの状態だ」と話された。翌日、在宅医は民間救急の後ろを走行し、訪問看護師は自宅で準備をした。自宅につくと妻と初対面の挨拶を済ませ、ベッドに移送し酸素吸入、持続点滴等を実施し療養者のケアをした。妻は自宅療養に至った話をしてくれた。面会制限があり毎日電話で話していたが、数日で話せなくなった。最期は家で看取る決意で退院を希望したと話された。「義父母の最期も見送ってきた私の役目だ、その時まで一緒にいたい」と話され妻の強い決意を感じた。親しい人が「ひさしぶり」「カラオケいったなあ」と明るく笑顔で妻や孫を交えて過ごされた。その笑顔をみられてうれしく思った。深夜に「呼吸が止まった」と妻からコールがあり、医師の死亡確認のあと最期のケアをおこなった。妻は「最後に一緒に過ごせてよかった」と話された。 2022年12月投稿 「大切な時間」 残された時間の穏やかな日常をサポートできるのは、訪問看護の冥利なのかもしれません。 退院を機に自宅で最期まで過ごすと決められ、ご依頼をいただきました。優しい奥様と笑顔のご本人様。かわいい猫ちゃん。スタッフの前では、感じていたはずの「痛み・苦しみ・辛さ」マイナスの言葉は心の奥底に封印され、食べたいものを食べて、笑ってお話しされていました。入籍一周年を間近に控えられていたこともあり、「一緒にお祝いしましょうね。」と訪問看護チーム全員でお二人の時間をサポートさせていただきました。2ヵ月もないほどの時間。少しでも寄り添い、お二人の気持ちを穏やかにすることができていたならこれ程幸せなことはないと思います。ご本人様にとって、ご家族にとっていつ訪れるか分からない最期の時間は色々な思いがあふれ出す時間だと思います。「できる限りのことをする。」これがうちの管理者の考え方です。大切な時間を一緒に過ごさせていただいたことにスタッフ一同感謝しています。 2023年1月投稿 「よりみち」 望む最期を迎えられるよう、利用者さんとご家族の希望に寄り添ったからこそ贈られた感謝の言葉だったのだと胸打たれるエピソードです。 ステーションへの帰りによりみちすると、庭に人影があった。「ああ、お世話になりました、四十九日が終わったところです。」草むしりを再開しながら「今年は花が早く咲いているの。姉が早く見せてくれているみたい。」胃がんの末期。腹水コントロールができるなら家にとおっしゃり、ご家族の希望で未告知のまま在宅療養が始まった。「新しい時代が来ましたね。どうなるのか不安でしたが、こうやって自宅で過ごせることが分かって安心した感じです。」ナートした留置針と延長チューブを通り、腹水はペットボトルにドレナージされた。腹水がオレンジ色のころに「最期まで家に居させて。楽に逝かせてほしい。」赤くなったころ「もう長くないと思う。だったらなおさら家族に最期の時期をみてもらいたい。」希望通りに「気がついたら呼吸が止まっていて…」とステーションに電話があった。「姉の生活は見ていて理想でした。」別れ際に妹さんは言ってくれた。 2023年2月投稿 「初めての看取り」 利用者さんに寄り添い心情を汲み取った一言に、利用者さんの心が救われたことが分かるエピソードです。 訪問看護師になってもう13年が経ちますが、未だに1番初めに携わった末期癌の利用者様の看取りは忘れられません。その方はまだ65歳になられたお若い男性でした。その方には内縁の奥様がいて、利用者様の「家で死にたい」との思いを受けて、病院を退院されました。訳ありのお二人にはほかに家族はおられず。私達とケアマネが唯一の縁者でした。緊張の面持ちで家での生活が始まりました。お二人の生活は経済的に厳しい状況であったため、奥様はパートを休むことができず、その間は利用者様が一人になります。奥様のいない間、3回訪問を提案し、体調をみさせていただいていました。初めは緊張して何もお話ししてくれなかった利用者様が、緩和マッサージ行っていた時、奥様との馴れ初めや境遇をお話しくださり、涙を流して、もうすぐ奥様を残して旅立つ自分の情けなさと、独りになる奥様の心配を話してくださいました。「私たちがいますから、奥様は大丈夫です。」と思わずでた言葉に「ありがとう。」と微笑んでくださいました。数日後、奥様の膝枕で、微笑んだお顔で旅立たれました。今でも奥様は事務所に時々お顔を見せてくださっています。 2023年2月投稿 「最期の笑顔に寄り添って」 偶然の中に縁を感じるとともに、投稿者さんを看護師に導いてくれたお父様への感謝も感じられるエピソードです。 訪問看護師の仕事をして23年目。たくさんの出会いがあり、お別れもあった。ある日のこと、午前の訪問先と午後の訪問先は不思議なことに、お二人とも年齢は90代の男性。どちらも奥さんが介護されていた。そしてどちらも男性のお孫さんがそばにいた。手も足も指の色は紫色になり血圧も低く、血中酸素濃度は測定できない。それでも意識はしっかりされていた。午前の方は、お孫さんが子供の頃、学習塾へ送迎をされていたことを奥さんが思い出して話をされた。お孫さんはしっかりと手を握り、「おじいさんわかる?」と声をかけ涙を流された時、頭を持ち上げお孫さんの顔を見てにこりとされた。午後の方はギャッチアップして口腔ケアの後、「Mさん今日もかっこいいですね」と声かけ、すると微笑まれた。奥さん娘さんお孫さんとで記念撮影をした。お二人ともそれが最期の訪問となり、静かに旅立たれた。訪問看護師として人生の最期の時を伴走して、ゴールテープを切られるのを見届けた。2月1日の訪問看護。その日は、私に看護師になることを勧めてくれた父の命日だった。 2023年2月投稿 最期のお別れを共有する存在 看護師は人の生と死に立ち会うことのある職業です。今回は最期の別れのエピソードをご紹介しましたが、旅立つ方にはなるべく心安らかに、見送る方には後悔なく見送れることを願う看護師としての想いが伝わってくるようでした。最期の支援を家族とともにできる看護師の誇りを感じるとともに、別れの儚さや切なさなど、いろんな感情が入り交じる感慨深いエピソードです。 編集: 合同会社ヘルメース イラスト: 藤井 昌子 

訪問看護のケアで後悔・葛藤したエピソード【訪問看護のつたえたい話】
訪問看護のケアで後悔・葛藤したエピソード【訪問看護のつたえたい話】
特集
2024年1月16日
2024年1月16日

訪問看護のケアで後悔・葛藤したエピソード【訪問看護のつたえたい話】

訪問看護の仕事は、時に自分の力不足により迷惑をかけてしまうことや、適切な支援ができないこともあります。また何が正しいのか、どういう支援をするのが良いのか答えが出ず葛藤する場面に遭遇することもあるでしょう。「みんなの訪問看護アワード2023」から、そうした後悔や葛藤を感じたエピソードを5つご紹介します。 「終末期ケアで大切なもの」 「最適な看取り」とは何かを考えさせられるエピソードです。 訪問看護を始めて3年目のころ、乳がんの末期のOさんを受け持ちました。娘さんとは疎遠だったものの病気の悪化もあり、介護に協力してくれるようになりました。娘さんと過ごせることがOさんの喜びになっているのが、お話を聞くだけで伝わってきました。しかし、癌が悪化し、痛みが強くなってきたころ、入院をすすめられたOさんですが、「病院は嫌、家にいたい」という気持ちが強く麻薬を使いながら、訪問回数を最大限まで使い、自宅での生活を続けました。最初は娘さんも介護を頑張っていましたが、次第に疲労がたまり、変わりゆく母の姿が悲しくなってきていました。薬で意識が朦朧となる中、Oさんの目から涙が溢れたことが忘れられません。結局、娘さんの身体を考え、入院を選択し、Oさんは1週間後に病院で亡くなられました。私は看護師としてどうしたら1分1秒でも長く娘さんとの時間を過ごすことができたんだろう、自宅で娘さんの腕の中で最期を迎えることはできなかったのかと後悔が募ります。その人らしい看取りとはなんなのかということをOさんのケアを通して考え、まだ私の中ではっきりとした答えが出ていません、この答えを探すため、奮闘しています。 2023年1月投稿 「『みんなよく頑張りました。本当に楽しかったです。』と妻。」 末期の利用者さんを支えるご家族に寄り添う看護師の葛藤や感謝が綴られたエピソードです。 57歳、男性、脳腫瘍の末期で、訪問看護が導入された患者さん。余命宣告を受けてから1年経過、抗がん剤治療を受けながら、病院から在宅診療となりました。副作用のこともあり次の抗がん剤は希望されず経過を見ることとなりました。軽度の右麻痺や巧緻障害などがある中、妻は献身的にご主人を支えておられました。てんかんや吃逆など、長引きはしない症状もあり、いつ急変してもおかしくない状況で入浴介助を行い、状態観察をしていました。BSCの方向で、病院から紹介されていたのですが、在宅生活が2ヵ月以上安定した所、妻より、急変したら、病院に行き、最善のことをしてあげたいと言われ、奥様の意見に傾聴し、訪問医へ相談していました。末期の患者さんを支える家族の葛藤は計り知れず、看護師としての立場だけでは、どう寄り添っていけば良いのか、答えが見つからず、苦悩している矢先に、下血で急変しました。意識レベルが低下した状態で、止血剤、胃薬、補液の点滴で、意識が回復され、そこから、寝たきりの状態から数日経過し、コロナ禍の中、病院では難しい、親戚、友人との面会もでき、永眠。最後の妻の言葉がタイトル通りです。奥様に感謝です。 2023年1月投稿 「自分のエゴとの葛藤と1つの答え」 利用者さんと家族との希望が相違したとき、悩むケースは多いでしょう。その時々の状況や環境で判断することはもちろん大切ですが、「やりきることの大切さ」を学んだエピソードです。 訪問でのリハビリテーションの考え方を学ばせていただいた経験です。その方は難病を患いながらも自宅での生活を送られておりました。しかし徐々に病状は進行し、家族の手を借りる場面が増えていきました。本人の希望は「家にいたい」、家族の希望は「いずれは施設」。私自身としては、本人の希望をお手伝いしたく生活面や運動に対する指導を繰り返し行いましたが、いつまでも反映されず…。いつしか、熱の入った指導は自分のエゴなのでは?と思うことが増え、徐々に消極的な介入にシフトしていきました。その後も状況は好転せず、最終的に本人の希望しない施設入所が決まりました。サービス終了後、本人の理解が得られるまで戦い続けなかったことを強く反省しました。仮に将来的にも理解されないままだったとしても「こちら側が先に手を引くことは本当に後悔が残る」こと、また「人様と関われる時間は有限である」という認識を持つ大切さを学ばせていただきました。 2023年2月投稿 「辞めたい自分が出会えた看護のカタチ」 このまま看護師を続けるべきか…。葛藤を抱えていたからこそ、利用者さんが前向きになってくれたエピソードです。 「私は訪問看護師です。」とまだまだ自信を持って言えない半年くらいの話。私は病棟の看護師を2年くらいで辞めて、先輩の紹介で同世代の訪問看護ステーションに入社。うまく打ち解けられないし、仕事も慣れたけどなんだかやりがいも感じない。そんな日が続いていて。たくさん失敗もしてもう辞めてしまおうかなって思ってた。そんなときに出会った患者さん。高齢の旦那さんと二人暮らしだった。口癖は「もう私はいいんだ、いつ死んでも」。だからご飯もリハビリももう食べたくもやりたくないとベッドでずっと寝ながら話してた。褥瘡があったから、毎日訪問をした。その人はお店をやっていて、いつも行くとこのようなことを言いながら笑顔で迎え入れてくれた。逆にその方が私の話を聞きたいと言ってくれて話してるうちに色々な感情が溢れて泣いてしまった。たくさん聞いてくれた。その後から相手も少しずつ私に色々話してくれるようになり、「あなたのためにも頑張らないと!」とご飯も少しずつ進んで、歩く量も増えた。この時の行動は訪問看護師としては失格だと思う。だけどその時の自分でしか見つけられなかった患者さんの思いだなと感じた。 2023年1月投稿 「なんもできないけど」 新人訪問看護師として、どうすればいいかわからない。悩みながらも寄り添う努力を続けたエピソードです。 「お前なんかなんもできないんだから帰れ!」怒鳴られても側にいたい。そう思っていました。利用者さんは70才男性。膵癌末期。現役の造園業で職人気質。同居の孫は父親がなく、重度の知的障害児でした。自分が死ぬと残された家族はどうやって食べて行けばいいのか…体調を崩すと不安で焦慮し、訪問の際には予後予測の質問攻めでした。ある夜、陰嚢が腫れているから管を入れて水を抜いてほしいと連絡があり緊急訪問。管を入れても腫れはひかないことを再三説明しても納得されず、怒鳴られる始末。浮腫が全身に広がっており病態は悪化傾向。訪問看護を始めたばかりの私はどうしていいか分からず、涙をこらえてただ側にいることしかできませんでした。何もできないけど、側にいて体をさする毎日。そのうち私に笑顔をくれ、体を摩っている間は、穏やかに熟睡されるようになりました。未熟な私でも寄り添うことができていたのでしょうか…今でも思い出します。 2023年2月投稿 看護に絶対や正解はない 今回は、支援する中での葛藤や後悔したエピソードをご紹介させていただきました。実際に訪問看護をしていると、「こうすればよかった」「あのときこっちを選択していれば」「もっと自分に力があれば」と感じることがあるでしょう。しかし、看護には「絶対こうすれば成功する」「こうすることが正しい看護だ」という答えはありません。大切なのは利用者さんやご家族のニーズを捉え、どのように看護を提供していくことがいいのかを考えて、誠心誠意実践していくことなのかもしれません。どこか看護倫理の原点でもあるナイチンゲール誓詞を思い出すようなエピソード5つでした。 編集: 合同会社ヘルメースイラスト: 藤井 昌子 第2回「みんなの訪問看護アワード」エピソードの募集は終了いたしました。たくさんのご応募ありがとうございました。>>イベント詳細はこちらから第2回「みんなの訪問看護アワード つたえたい訪問看護の話」 特設ページ

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2023年12月19日
2023年12月19日

元気をもらえるエピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護の現場では、疾患・障害等がある中でも懸命に前向きに生きる利用者さんがたくさんいます。「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードから、利用者さんの前向きな姿勢に力を分けてもらえるエピソードを5つご紹介します。 「今日はどこに行こうかな」 滅びの呪文は引きこもりがちだった過去の自分に向けた言葉だったのかもしれません。未来に歩み出した利用者さんの力強い姿が目に浮かぶエピソードです。 彼は今日も街へ繰り出す。下半身麻痺のため日中はずっと車椅子。母親も病気のため介護してくれる家族は居らず、独りで生活を送っている。40代と若い彼は自身の病気を嘆き何度も自分で人生を終えようとした事もある。そんな彼に関わりだしてもう5年以上が経った。デイに行っても周りは高齢者だらけで話も合わない。職員とは忙しくゆっくり話す時間もない。最初は人見知りかあまり進んで話してくれる事は無かったが、徐々に打ち解け何でも話してくれるようになった。ある日彼からジブリ展に行ってみたいとの相談があった。今まで引き篭もりがちだった彼からそのような言葉が聞けて私は驚いた。受診とデイ以外の外出は久し振りだと彼は楽しそうにしていた。帰り際、物販で購入したのは、バルスと書かれたTシャツだった。それ以降、彼は外出を躊躇わなくなった。破壊の呪文が書かれたTシャツを纏い、過去の自分を破壊するかの様に未来に向かって車椅子を漕いで行く。 2023年1月投稿 「お風呂と花見と自宅がいいよ!」 最後までやりたいことを諦めず追いかけ達成しきった利用者さんに、拍手を送りたくなるエピソードです。 末期前立腺がんの男性の訪問看護に入ることになった。某自動車メーカーの支部長さんで、「何してくれるの?」くらいアウェイな空気でスタートする。シャワー介助から介入し始めて、徐々に関係ができた時に「何かやってみたいことはありますか?」と尋ねると、しばらくして「花見に行きたい」。この時余生は2-3月と言われており、(難しいかもしれないけど、応援したいと思って)一緒に計画立てて、本人の努力もありお孫さんとの花見を実現。痛みや倦怠感のある中、乗り切った彼は「また行きたい、次は元同僚と」とコメントし、こちらも達成。その後、最後は病院でと言っていたのに「実は家で過ごしたい」と本音を打ち明け、家族会議を提案。奥さんも反対していたけど、折り合いつけてくれて、結果6月に永眠される。やりたいことを追いかけた結果、予後予測を乗り越えて自己実現されました。 2023年2月投稿 「酸素をしたマジシャン」 好きなことを追いかける目や身体には力が宿る…。目標や希望は人の原動力になることがわかるエピソードです。 重症COPDで在宅酸素療法をしている方のお宅を初めて訪問したときのことです。酸素流量が増え、トイレに動くのもままならなくなりつつありました。ベッドに腰かけ、会話で大きく息をつきながら生真面目に受け答えする高齢の男性でした。ふと部屋の隅に目を向けると、そこにはまぶしい白いスーツとハット姿で華やかにリボンの束を投げているご本人の写真が。よく見ると鼻には酸素カニュラが付いています。在宅酸素の患者さんの集まりでマジックショーを披露したときの写真でした。退職してから始めたマジックをお孫さんにも教えているとか。その話になると疲れたような表情から目が活き活きとして饒舌になり、ハンカチマジックを披露してくれました。ご本人は手つきに納得がいかない様子。訪問看護と訪問リハビリで少しずつ体力を取り戻そうとずっと頑張っていました。その人の生活の場に伺う訪問看護の現場では、人柄や生き様、周りの人たちとの関係が、情報としてというよりも感覚として捉えられます。今でも、近くを通るたびに自分のことをそっちのけでサービス精神が旺盛なマジシャンの姿を思い出します。 2023年2月投稿 「おばあちゃんの知恵袋」 前向きな発想の転換はまさに「知恵袋」。先人たちの知恵はいつも私たちを救ってくれます。 とある女性の利用者さん宅への訪問時、私の異変に気付いたのか、「今日はどうしたん?暗い顔して」と言われ、「実はこの後怒りっぽいおじいさんのところに訪問するんです。その日の気分で顔を見るなり怒鳴りつけられることも…」という話になったところ、「じゃあ、あんた一回気をもむたびに10円、20円と心の中で数えたらええやん。今日はいっぱい儲けておいで。」と言われました。なんとかしてその利用者さんを怒らせないように、自身の対応に何か間違いはないか…など色々考えていた私の心はすっかり晴れ、二人で大笑い。でもさすがにお金の事を考えるのはちょっと気が引けると伝えると、「じゃあ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と心で唱えたらどう?」「でもその時、声を出したり、手を合わせたりしたらあかんで」と言うからまた二人で大笑い。今でも、難しい利用者に出会うと、私は心の中で呟いています。「今日も何事もありませんように。南無阿弥…」 2023年2月投稿 「初回訪問看護」 疾患に負けまいと未来に向け希望を抱く利用者さんと、それを支えようとする訪問看護師の前向きな姿勢にエールを送りたくなるエピソードです。 今日が退院後初回訪問看護。病棟からは躁状態になると易怒性が高く、家族トラブル、浪費、内服中断傾向と聞いている。躁状態の典型のような男性、わたしの苦手とするタイプ。病状悪化での暴力暴言のリスクも大きい。怖い、気が重い、玄関の扉も重い。部屋に入るとシェフとして働いていた時の写真がたくさん飾ってある。どれも大きな口を開けて、外国人のシェフと肩を組んで笑っている。今の本人は疲れた表情で大きなテーブルにぽつんと座り、「入院前から薬を飲み忘れてたくさん余っている」と大きな体を小さくまるめて申し訳なさそうにしている。庭には元気なころに植えられたであろうハーブたちがしょんぼりしていて、今の本人とかぶる。一般就労をまたしたいという希望を叶えるために、体力をつけて内服の飲み忘れを減らして、と考えることはたくさん。けれど、写真の彼のようにキラキラ笑って過ごせる日が来るようにと願い、いつの間にか重い心が軽くなっていた。 2023年2月投稿 利用者さんの生き様に触れる 利用者さんの前向きな姿勢や生き様は、関わる訪問看護師だけでなく読者にまで元気や力を与えてくれる、そんなエピソードばかりでした。訪問看護は医療者から一方向的にケアを提供するのではなく、双方的な関係性であることを改めて感じますね。 編集: 合同会社ヘルメース イラスト: 藤井 昌子  第2回「みんなの訪問看護アワード」エピソードの募集は終了いたしました。たくさんのご応募ありがとうございました。>>イベント詳細はこちらから第2回「みんなの訪問看護アワード つたえたい訪問看護の話」 特設ページ

希望が叶ったエピソード【つたえたい訪問看護の話】
希望が叶ったエピソード【つたえたい訪問看護の話】
特集
2023年12月12日
2023年12月12日

希望が叶ったエピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護では利用者さんの希望に沿い目標を設定していきますが、実現するまでにたくさんの課題が待ち受けていることも。今回は、「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードから、利用者さんとともに課題を克服し、希望を実現できたエピソードを4つご紹介します。 「時間をかけても良い。カニューレも胃瘻も要らないようになりたい」 希望の実現に向け、発声練習を行い努力し続けた利用者さんの姿と、それを支援し続けた訪問看護師の姿が目に浮かぶようです。 心筋梗塞で心肺停止から復帰後、呼吸管理のための気管カニューレ、嚥下機能低下による胃瘻造設の状態が安定したため自宅へ退院。スピーチカニューレでの発声練習を行いながらの生活。肺炎を2回起こしたがその後は肺炎となることはなくなった。エンジョイゼリーでの嚥下訓練を行い、お正月には好きだったお酒を少しずつ飲めるようになる。すり下ろしたリンゴやヨーグルトなどを摂れるようになる。このころには呼吸の状態が安定しほぼ丸一日スピーチカニューレで過ごすことができるようになる。ある日、咳き込んだ時にカニューレが抜けてしまいそれがきっかけでカニューレ抜去、気管孔も自然に閉鎖する。それから2年。食事も水分も経口摂取できるようになり胃瘻も抜去となった。カニューレも胃瘻も時間がかかってもいいから抜けるといいと希望していた事が4年かけて実現する事ができた。 2023年1月投稿 「気分に左右されず淡々と」 行動療法により結果を得たひとつの事例です。卒業に至る9年の間、たくさん話し合い向き合ってきた二人の様子が想像できます。 長い鬱病で自分を追い詰め、精神科病院入院中の自殺企図により後遺症が残った30代女性。「精神科訪問看護って何をしてくれるんですか」。病院から退院し、初めての一人暮らしをするにあたり、主治医からのすすめで渋々訪問看護を受け入れた。生きる気力を失い、退院時に決めた日中活動も休むことが多かった。自分の感情がわからず、何を聞いても「わからない」を繰り返すため、私は思わず「感情が死んでいるね」と言ってしまったが、それにも無反応な状態であった。しかし今は一般企業で常勤勤務している。転機は、金銭面での不安から。頼りにしていた両親が相次いで亡くなったのだ。就労支援事業所通所から始めたが、最初は休みがちだった。理由は「やる気が起きない」から。やる気は必要ない、とにかく行くこと、続けることと話すと徐々に継続できるようになり就職につながった。訪問看護を開始して9年、最近になって卒業したいと話あり、嬉しい終了となった。 2023年2月投稿 「嬉しいお別れ」 元気に回復をして訪問看護卒業という喜ばしいエピソードです。 珍しい染色体異常の女の子。突然死のリスク、今後の情報が乏しい中ではあったが状態も落ち着き、生後約1年の入院を経て退院となった。退院前カンファレンスでは、不安故に質問攻めの母、何を聞いて良いか分からず手を膝に置く父、必死にメモをとる祖母。身体の状態に加え心身の成長発達と支援が多岐に渡るため、関係者はひとクラスの人数になる程。私にとっては初めての小児の受け持ち児でもあり、不安な表情を見せまいと思いつつも何ができるだろうかと戸惑いながらのスタートだった。あれから約1年。2歳になった彼女の体調は安定し家族で旅行へ、なんと保育園に通えるようにもなった。お友達と公園でお砂場遊びやブランコをして満面の笑みを見せているらしい。そして、ついに訪問看護は卒業となった。 2023年2月投稿 「まだやってないからわからないよねえ」 まさに「為せば成る」の事例ではないでしょうか。周囲から「難しい」といわれても、やってみようという前向きな姿勢の利用者さんと、実現に向け支援に尽力する投稿者さんの姿が印象的です。 公務員への復職を目指す脳卒中患者のAさん、リハビリ病院を退院する際に「失語症があり電話は難しい。外は歩けないので通勤には車いすが必要」と告げられた。右片麻痺と高次脳機能障害があり、退院直後は外で歩くのは50mが限界。なのに、通勤はバスと歩きで1時間。周りが難色を示す中、穏やかな性格の本人が優しく「まだやってみてないからわからないよねえ」と。その一言に、支援者が諦めてはいけないと思い、訪問看護(リハ)では、脳卒中でもできている事例の動画をかき集めて真似をして練習を重ねた。人事部の職員や産業医と話し合いを重ね、復職に向けたスケジュールを調整し、まずは「会社の同僚と食事に行けるように」など、笑いや息抜き、繋がりを大切にしながら努力を重ねた。結果、資料作成や研修など、もともと行っていた仕事を再開する形で復職。「やってみたからできたのかもねえ」と。次は同僚とスキー旅行に行く方法を、動画サイトで検索していた。 2023年2月投稿 できることの積み重ねが実を結ぶ 人生の中では疾患や不慮の事故により、「今までできていたこと」ができなくなることもあります。それにより、悲しみや不安に駆られる利用者さんは多いでしょう。今回のエピソードは、できることを少しずつ重ねていくことで希望や目標を実現できたお話ばかり。目標を諦めず行動していくことの重要性を改めて実感しますね。 編集: 合同会社ヘルメース イラスト: 藤井 昌子 第2回「みんなの訪問看護アワード」エピソードの募集は終了いたしました。たくさんのご応募ありがとうございました。>>イベント詳細はこちらから第2回「みんなの訪問看護アワード つたえたい訪問看護の話」 特設ページ

嬉しかった瞬間エピソード
嬉しかった瞬間エピソード
特集
2023年11月28日
2023年11月28日

嬉しかった瞬間エピソード【つたえたい訪問看護の話】

訪問看護の現場では、訪問先の利用者さんやご家族と接するなかでさまざまなエピソードやドラマが生まれています。「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードから、利用者さんやご家族から感謝や信頼を得ることができ、「嬉しい!」と感じたエピソードを5つご紹介します。 「その人の本当が見えた時」 利用者さんと距離を縮めることができた時の喜びは大きいものですよね。利用者さんからの信頼は何よりも大切な宝にもなることがわかるエピソードです。 訪問看護を始めて3ヵ月の時の利用者様の話。初めての担当者会議では、その方は厳格な方であった。自宅療養で看護師が来ることは理解され介入となったが、初回介入時は30分間相手にしてもらえず。その方の奥様は毎回、私達スタッフが帰るのを見送って下さる。「主人がいつも酷いことを言ってすいません。」と毎回頭を下げられる。私は訪問が終わると、どうしたら分かってもらえるのか涙がでて、先輩方に相談の日々であった。何が原因なのか考えた時に、まずは自分の関わり方を振り返った。そう思ったのも、自分自身で身に覚えがあるからだった。3ヵ月が経ったある日の訪問日から、表情が柔らかくなったのが分かった。体調のこと以外にも、プライベートな事まで話され、時には私の事にまで質問をされることも。そこで「やっと訪問看護師として認めてもらえた!」とすごく嬉しかったのを覚えている。そこで私は、病棟看護師と訪問看護師のケアが違う事に気づかされた。この利用者様のおかげで看護師としてだけではなく、人として成長できた。今ではご家族とともにお手紙もいただき、私は感謝でいっぱいだ。 2023年1月投稿 「実感を取り戻す看護」 利用者さんの心身を安らげることができた嬉しさと、看護の意味を改めて感じさせられるエピソードです。 複数の既往が増悪し、入院していた方が自宅退院を果たした。体調が悪くなってから入浴はできなかった様だが、元々は三度の飯より入浴を好まれる方で無類の長風呂好きだったそうだ。本人はかなり消耗しており、ソファに腰掛けているだけでも眉間には皺が寄り、肌は冷たく青ざめている。衣服からのぞく痩せ細った腕と紫斑が入院生活の壮絶さを物語る。大好きな入浴をさせてあげたかったが、本人にとってあまりにも負担が大きいため足湯を提案した。久々の暖かいお湯に足をくぐらせると「ああ」と声が漏れた。眉間からは皺が消え、常に全身に取り巻いていた強張りが自然とほぐれていくようだった。声は掠れた声で「いいですね」と静かに笑ってくれた。足湯を終えると血の巡りが戻り、青ざめた肌は薄いピンク色になった。熱と潤いを閉じ込めるように保湿クリームを塗り衣類を整える。「本当にありがとう」小さな声ではあったが、ぼくにしっかりと届いた。 2023年1月投稿 「家族の一員の様なお付き合い」 利用者さんやご家族からこうしたお誘いをいただけると、「人としても信頼されている」と嬉しく感じるとともに励みになるエピソードです。 訪問看護を行う中で、軽症な方から重症な方、在宅での看取りも考えなければならない方など、さまざまな方にお会いします。訪問の介入を長く行っていると、お客様やご家族様から「一緒に旅行に行きたいですね」、「食事に行けたらいいですね」と言っていただけることがあります。こういう風に、私たちと一緒に過ごしたいと思っていただけていることに、とても嬉しく思います。 2023年2月投稿 「本人・家族の希望を叶える~『あきらめない』チームの行動力~」 多職種で支援する在宅医療の強みを活かし、連携して利用者さんの希望を叶えることができた事例です。 余命数ヵ月の癌終末期にあるA氏が「ドライブしたい」と発した言葉から外出支援が行なえた事例です。A氏の家族は夫と高校生、中学生の子供2人でした。訪問看護師は今を逃すと外出支援ができなくなると考え、主治医に外出許可を得ました。しかし自宅は集合住宅の2階にあり、移動が困難な状況。ケアマネジャーに相談し福祉用具業者と階段スロープを設置し車いす移動を試みましたが急坂になってしまい断念。そこで訪問リハビリと相談し、介護用担架が提案され移動のシミュレーションを実施しました。外出当日は家族が担架での移動をし、スタッフは介助に回りました。2時間の外出にて桜を見たり、ドライブすることができました。「最高の先生とスタッフさんです」とベッドに戻った際には思わず全員で拍手をして喜びあいました。「A氏の希望を叶えたい。家族と良い時間を過ごしてほしい」というスタッフ間の共通した思いと行動力が実現に至ったと感じています。 2023年2月投稿 「多職種とともに」 病識がなかなか持てない利用者さんへ根気よく向き合い続けることで、多職種での支援にもつながりうまくいった事例です。 精神障害をもつ40代男性。病名に納得がいかず、病院を転々とし治療継続には繋がらなかった。就労意欲はあるが、数週間で辞めることを繰り返していた。精神科訪問看護導入後、定期的な治療含め生活面について一緒に確認、承認していったことで、1年程就労継続できたこともあった。しかし、強い責任感や不安、対人面でのストレス、金銭管理の乱れなどが影響し、就職しては辞めることを繰り返していた。仕事をしたい気持ちは強く、自分は精神障害者じゃないという思いがあったが、看護師が勧めた障害者職業センターへの相談を受け入れることとなった。センター職員とは情報共有を重ね、ジョブコーチによる仕事量・人間関係などの職場調整が入ったことで、「辞めたい」「新しい仕事を探しました」と言いながらも辞める前に相談してくれるようになってきている。違う職種の人たちと一緒に支援することで、自分の考えも人脈も幅が広がったと思う。 2023年2月投稿 利用者さんの望むケアを提供する喜び 利用者さんの生活空間に入っていく訪問看護では、多職種と協力しながら、利用者さんやご家族と信頼関係を築くことが大切です。しかし、信頼を得ることや利用者さんが望む支援を実現するのは簡単なことではありません。 「どうすれば信頼してもらえるのか?」「どうすればよりよい支援を実現できるのか?」 難しいからこそ、それらを達成できたときに喜びを分かち合えるのも訪問看護の醍醐味なのかもしれません。 編集: 合同会社ヘルメース イラスト: 藤井 昌子 

訪問看護のやりがいエピソード
訪問看護のやりがいエピソード
特集
2023年11月14日
2023年11月14日

訪問看護のやりがいエピソード【つたえたい訪問看護の話】

仕事は生活するお金を稼ぐために必要な手段のひとつですが、人生のうちの多くの時間を占めます。充実感・自己肯定感を得るためにも、仕事のやりがいは大切です。今回は、「みんなの訪問看護アワード2023」に投稿されたエピソードから、やりがいをテーマとしたエピソードを5つご紹介します。 「訪問看護を、私の一生の仕事に、後押ししてくれたO氏」 この人のために何ができるか?看護師を職業として選んだ理由や看護師としての初心を思い返すエピソードです。 「外の景色見てもらおうよ」「外に出て風を感じてもらおう」私たち、訪問看護を始めてまもないナース3人は、ALSで数年間寝たきり、人工呼吸器つけた70代のO氏を、外に連れ出す計画を立てました。呼吸維持のため、アンビューバッグ。万が一のため、足踏み式吸引機。移動の為のストレッチャーを、準備して、近くの神社へ。紅葉の綺麗な時期でした。数年ぶりに外に出たO氏は、後日パソコンの指先の操作で、「楽しかった」「気持ちよかった」と感想を述べてくれました。別日には、公園にも出かけました。またクリスマスには、3人で持ち寄った楽器でミニコンサートを、ベッドサイドで開催しました。もう亡くなってしまいましたが、その時撮った写真は、今でも私を初心に帰してくれます。これは、私の20年以上も前の大切な思い出です。今では、スタッフも10人以上の大きなステーションに成長しました。あの時の原動力は、今と違って時間にもゆとりがあったからうまれたのかも知れません。しかしながら、若いスタッフにあの情熱は確実に受け継がれていると感じています。嬉しいことに、この街にも、訪問看護が着実に根付いてきたようです。 2023年2月投稿 「『最期まで面倒見る』って言われたけれど…」 利用者さんの選んだ最期の過ごし方とその日常に、訪問看護として関われる喜びを感じるエピソードです。 100歳を超える女性が退院。主介護者は息子さん。脳梗塞での入院で、病院からは療養型をすすめられ「うちで最期まで面倒みますよ」と言われたが、息子さんは自宅退院を希望。経口摂取も難しく、年齢的にもいつ何があってもおかしくないといわれたものの、そろそろ3ヵ月が過ぎる。表情が穏やかになり、訪問入浴で笑顔もみられ、訪問リハで拘縮も緩和してくる。息子さんは看護師からのケアの指導に「我流だったけど、プロはやっぱり違う」と大満足。「お母さん、お家はいいねぇ。退院できて、年も越せて本当に良かったねぇ」と優しく語り掛ける息子さん。母は言葉では返事できないが、温かい笑顔で返す、そんな日々に訪問看護とリハで関わっている。 2023年2月投稿 「日常を支えること」 人の生は有限であり、何気ない日々の尊さと時間の大切さを実感させられるとともに、その生を支援できる訪問看護のやりがいを感じるエピソードです。 「誕生日おめでとう」「ありがとう」か細い声ではあるが、Aさんが笑みを浮かべ、そう返した。年の瀬に末期がんを宣告され、ひと月半が経つ。徐々に口数が減り表情が乏しくなり行く状況で、少し先の目標を掲げながら伴走を続けてきた。クリスマスを迎える。新年を迎える。そして、誕生日のお祝いをする。それは決して特別ではない当たり前の日常。私たちはそんな日々を積み重ねながら人生を歩んでいるのだと思う。しかし、高齢になり病気を患うと、それまで当たり前だった日常はそうではなくなってしまう。私が考える看護師の役割とは、その人にとって当たり前の日常を送れるよう手を差し伸べること。感情を表出したり、季節を感じたり。Aさんと接して、よりその大切さを感じた。今日もAさんの看護に向かう。いつものように挨拶を交わすとAさんの顔に笑みが浮かんだ。その傍らで誕生日プレゼントのガーベラが、色鮮やかに咲いていた。 2023年2月投稿 「生きる意欲を失いかけた方へ伴走する看護」 自分らしくできないならもう自分ではない…。病気は時に人の尊厳や生きる意欲をかき消してしまうこともあります。ただそうなってからも、病気に打ち勝つ努力をされた利用者さんやご家族と、それを支援し伴走し続けた投稿者さんには感動を覚えます。 妻のM様と二人暮らしの90歳代のE様。入浴前後には「行ってきます、行ってらっしゃい」「ただいま、おかえり」と声を掛け合ったりお二人のやり取りを見ているとお互いを大切にしていることがうかがえる素敵なご夫婦。E様は元国語教師、M様は父が大手デパートの役員で裕福な家庭のお嬢様。E様は末期膀胱がんで膀胱タンポナーデを繰り返し、膀胱留置カテーテルが挿入された。重度大動脈弁狭窄症による失神発作も頻回に認め介護を受けることが多くなり「死にたい」という発言も聞かれるようになった。訪問看護ではE様の意思決定に伴走し、E様はM様と自宅で暮らす選択をした。1日3回訪問をしてまずは身体的側面を整え、お二人の文化・社会的側面を意識した関わりを続けた結果、病状も以前より安定し入浴も再開。趣味の読書や晩酌もできるようになりE様らしさを取り戻した。現在もお二人は自宅で暮らし訪問看護はその暮らしに伴走している。 2023年2月投稿 「『看護はアート』と考えられた訪問看護」 訪問看護という仕事は、たくさんの色を重ね合わせて作り上げていくものなのかもしれません。そんな仕事へのやりがいや自己の成長を感じたエピソードです。 学生のころ、「看護はアート」とナイチンゲールが述べたと習った。病院で働いていたころはそう思えなかった。しかし訪問看護師として働き始め、その人らしさを守れるように、生活を多角的に看る看護を考え始めて、「看護はアート」であると理解できるようになった。認知症の独居の患者には、内服を確実にできる工夫を考えるほか、生活状況・火の元の管理や、訪問販売で不要な契約をしていないか等ケアマネと家族と連携して考えた。看取りのがん患者には医療提供はもちろん、ルート類でつまずかない室内配置を考えたり、本人や家族それぞれの思いを吐露できるよう介入したり、看取りの後悔をご家族が軽減できるようエンゼルケアを一緒に行ったり、自分なりに工夫した。訪問看護は患者と家族をつなぎ、介護・福祉を通して地域にも貢献できる仕事だ。ナイチンゲールの述べたことを理解するのに看護師になって何年もかかったが、訪問看護師になって成長できたと思う。 2023年1月投稿 なぜ訪問看護に携わるのか? 「なぜ今の仕事を選んだのですか?」「仕事のやりがいは?」 聞かれてはっきりと答えることができる人は実はそう多くないのかも知れません。今回それぞれのエピソードでやりがいや充実感も感じ取れますが、それは投稿者さんにとっての答えでしかありません。ではあなたが訪問看護をする理由は何ですか?エピソードを通じ、一度自分の中で振り返る機会になれば幸いです。 編集: 合同会社ヘルメースイラスト: 藤井 昌子

受賞作品漫画「ちょっと早めの金婚式」
受賞作品漫画「ちょっと早めの金婚式」
特集
2023年10月18日
2023年10月18日

受賞作品漫画「ちょっと早めの金婚式<後編>」【つたえたい訪問看護の話】

NsPaceの特別イベント「みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。今回は、村田 実稔さん(ウィル訪問看護ステーション江東サテライト/東京都)の入賞エピソード「ちょっと早めの金婚式」をもとにした漫画の後編をお届けします。 ※記事内に記載している所属先は、2023年3月の受賞当時のものです。 「ちょっと早めの金婚式」前回までのあらすじ 訪問看護師 新人の村田さんは、所長の櫛野さんとともに尿管癌末期の利用者 山本さんの訪問を担当しています。余命宣告をされていますが、ご家族の意向で山本さんご本人には伝えていません。「妻に迷惑をかけたくない」と歩行リハビリをがんばる山本さんでしたが、病状は進行していき、あと少しの時間しか残されていませんでした。 〇訪問看護師 新人 村田さん〇所長 櫛野さん >>前編はこちら受賞作品漫画「ちょっと早めの金婚式<前編>」【つたえたい訪問看護の話】 ちょっと早めの金婚式<後編> 漫画:さじろう山形県在住のイラストレーター兼グラフィックデザイナー。デザイン会社を経て独立。『ダ・ヴィンチ』『東京カレンダー』『Men’s NONNO』『R25.jp』等、多数の雑誌・Web媒体にてイラスト・漫画制作を手掛ける。 エピソード投稿:村田 実稔(むらた みのる)ウィル訪問看護ステーション江東サテライト(東京都)山本さん(仮名)は、私が初めて担当させていただいた末期がんの利用者さんです。このエピソードは私にとってとても印象深かったため、投稿させていただきました。素敵なお話なので、投稿時点から受賞するのではないかな、とも期待していました(笑)。最終的には金婚式を行い、ご本人も奥様も喜んでくださって、後悔が残らず本当によかったと思っています。ありがとうございました。 [no_toc]

受賞作品漫画「ちょっと早めの金婚式」
受賞作品漫画「ちょっと早めの金婚式」
特集
2023年10月17日
2023年10月17日

受賞作品漫画「ちょっと早めの金婚式<前編>」【つたえたい訪問看護の話】

NsPaceの特別イベント「みんなの訪問看護アワード」で募集した「つたえたい訪問看護の話」。今回は、村田 実稔さん(ウィル訪問看護ステーション江東サテライト/東京都)の入賞エピソード「ちょっと早めの金婚式」の漫画をお届けします。 ※記事内に記載している所属先は、2023年3月の受賞当時のものです。 >>全受賞エピソードはこちらつたえたい訪問看護の話 受賞エピソード発表!【みんなの訪問看護アワード】 ちょっと早めの金婚式<前編> >>後編はこちら受賞作品漫画「ちょっと早めの金婚式<後編>」【つたえたい訪問看護の話】 漫画:さじろう山形県在住のイラストレーター兼グラフィックデザイナー。デザイン会社を経て独立。『ダ・ヴィンチ』『東京カレンダー』『Men’s NONNO』『R25.jp』等、多数の雑誌・Web媒体にてイラスト・漫画制作を手掛ける。 エピソード投稿:村田 実稔(むらた みのる)ウィル訪問看護ステーション江東サテライト(東京都) [no_toc]

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